お宮参りの掛け着の「背守り」
こんにちは、まゆこです。
毎月1~2回、山梨の地元タウン誌「かわせみ」でテーマごとに当館の資料を紹介していただいています。『昔の暮らしを訪ねて』という名のシリーズです。
今年の1月から掲載がはじまりましたので、もうすぐ11回目の取材を受けるところです。
毎回、担当編集者Sさんが提案するお題に合わせて、まゆこが当館資料の中から数点をピックアップしてSさんに解説し、記事にしてもらっているのですが・・・。
今回のお題はSさんより「七五三の時期ですので、子供の着物で」とのことでした。
取材を受ける準備資料を作っていて気付いたことがあります。
お宮参りの掛け着を並べて眺めていたとき、まゆこはあることに気づきました。
「一つ身」の子どもの着物で「背紋」のない着物には、男の子用、女の子用ともに、色糸で方位マークのようなものが縫い付けられています。
いったいこれは何のしるしで、どういった理由でつけられたものなのでしょうか?
「一つ身」:赤ちゃんから2歳位までの産着・掛け着の裁ち方。帯の代わりに衿に付け紐をつける。
「背紋」のついている掛け着には、色糸が縫い付けられていない。
「背紋」:和服の背の上部中央につけられた家紋。
縫い付ける針目の数を12目にするのだそうです。
背守りをつけるのは、子供が水に溺れたり、火の中に転げた時に、荒神様や産土神に引っぱり上げてもらうためだと伝えられているようです。
ではなぜ背中に付けたのか?その理由は、大人の着物には背中に必ず1本の縫い目がありますが、子供の着物は一つ身で仕立てられ、縫い目がありません。
そのため、「目」の無い無防備な背後から魔物が忍び込みやすいと考えられたようです。
現代より医療環境の整っていなかった時代、特に産まれたばかりの危うく頼りない命を魔物が奪っていかぬよう、赤ちゃんの着物の背中に魔除けのしるしをつけたのでしょう。
お宮参りの掛け着に縫い付けた背守りには、魔物を退散させ、その後の健やかな成長を願う親たちの気持ちが込められていたのですね。
お宮参りは男の子は31日目、女の子は33日目に行いますが、その後もまだまだ7歳くらいになるまで些細なことで死亡してしまうことの多かった魂の安定しない子供の命は、神の手の内にあるといわれてきました。「七歳までは神のうち」という言葉にあるとおりです。
「麻の葉模様の産着」古くからある正六角形を基本にした模様で、大麻の葉に似ていることからよばれる。麻のように丈夫に育つようにと産着に広く使われた。
産まれてから一人の人間として社会に認知される7歳になるまでの期間は、神の手のうちから次第に人間界に入りくる子供の段階であり、着物や髪形も、3歳は髪を伸ばし始める、5歳の男児は袴をはくようになる、7歳の女児は帯を締めるようになるというように、「七五三」は次第に人間らしく姿を整えていく節目になっています。
七五三の習俗の所以はその節目を地元の氏神様に晴れ着を着て報告し、感謝する儀式の一つなのだそうです。(以上、日本民俗宗教辞典・日本民具辞典等参考)
現在でも七五三が日本全国でひろく行われているのは、戦後の高度成長期における商業政策の影響だといわれています。
しかし、毎年11月15日前後に見かける、思う存分着飾ってうれしそうにしている幼子の様子はとても可愛いらしいものですし、それを見守る周りの大人たちの様子も、心を和ませてくれる日本らしい風景の一つになっています。
地域の氏神様にこれまでの成長を感謝する機会など他にあまりないのですから、「お宮参り」とともに、これからも後世に伝えていきたい日本の習俗ですよね♪
まゆこ
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