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2014年8月 8日 (金)

板額御前に会ってきたよ

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昨日、中央市の市長さんや教育長さんらと、胎内市へ行ってきました。新潟県胎内市は上越地域にある市で、中央市豊富地域の武人、浅利与一の妻となった板額御前の生地です。鎌倉時代の『吾妻鏡』に、建仁元年(1201)4月に、越後国鳥坂城で城小太郎資盛が反乱を起こし、鎌倉幕府の討伐軍を苦しめたのが、小太郎の叔母で弓の名手であった板額御前でした。「百発百中」の腕前に苦しめられていた鎌倉側の武将たちは、藤沢四朗清親の射た矢によって、ようやく板額を捕え、反乱を収めることができたのです。
捕えられた板額は、二代将軍頼家のもとに引き出され、流罪の刑が決められましたが、翌日浅利与一が板額を嫁にしたいと申し出て、これを許され甲斐の国にやって来たといいます。

この時浅利与一53歳、板額御前30歳くらいで、こののち2人の子供が生まれ、浅利の後継者や甲斐源氏一族の石橋氏に嫁いだという伝承もあり、笛吹市境川の板額坂には板額塚と呼ばれる石祠もあります。

胎内市のJR羽越線中条駅の前には、板額御前の凛々しい姿の銅像が、南(東?)を向いて建てられています。どちらを向いているのか、鎌倉か?それとも甲斐国か?

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一方、与一の銅像はシルクの里公園に立ち、北を向いています。胎内市をめがけて愛の矢を放ったところでしょうか?

こうした両市の関係は、今から800年以上も前の「与一と板額」の関係にさかのぼります。歴史上でもまだまだ分からないこともありますので、両市の関係をさらに深めて、それぞれの歴史や文化の絆を、深めていければよいですね。

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胎内市のお菓子には「板額御前」と「板額太鼓」がありました。中央市でも「与一まんじゅう」があります。どちらもとても甘いので、両市が甘い、蜜月の関係が築けたなら良いですね。

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