風呂の話(5)
富子だけんど、いよいよ夏休みだねえ。まだ梅雨も明けちゃあいんから、あんまし夏休みっちゅう気がしんけんどね。
今日は風呂の話のつづきだけんどさ。五右衛門風呂みたように、じかに湯を沸かす風呂が発明されるめえは(前は)、長方形の厚い木の板を組み合わせて作っとう、人ん一人へえれるくれえの湯船に、釜で沸かした湯を桶だの樋だので入れるっちゅう風呂んあっっとうようだよ。まるで西洋のバスタブのようのもんだね。おもしろいこんにゃあ、風呂は使い終わったら、風呂桶を洗って、水ん切れるように横に倒しておくっちゅうわけ。風呂にへえる(入る)ときにゃあ、まず桶を立てなけりゃあならんから、風呂を沸かすこんを、「風呂を立てる」っちゅうだってよ。こういう風呂を大阪の民家園で見てきとうどうけんど、写真を撮ってこなかったから、みんなんに見せれんでくちょうしい(口惜しい)じゃんね。
鉄砲風呂っちゅうにもへえった記憶があるよう。親戚の家かどっかでへえったと思うけんど、小判型の風呂桶の四分の一くれえのとこまで蓋がされてえて、その蓋から煙突のみたようのもんが出てえて、下にゃあかなもん(金属)でできた罐のようなものがついてとうさ。ほの罐の中で火を燃して湯を沸かすだから、罐に近づくと熱かっとうもんさ。
湯の中につかるこんを「風呂にへえる」っちゅうようになっとうは、そんねん古いこんじゃあなくて、江戸時代の風呂屋もしょっぱな(初め)は蒸気浴っちゅうので、ほのうち浅い湯船を作るようになって、明治時代になってはじめて湯をいっぺえ入れとう今の銭湯みたようになっとうどうって。ほんだからちゃんと、蒸気浴は「風呂」、湯につかるのは「湯」っちゅうように呼び分けてとうだよ。温泉にへえるのは「湯治」で、こりゃあ治療だったさ。もともと入浴は仏教が伝わってくるといっしょに中国から伝わっっとうどうって、ほんだから風呂はまずお寺にできて、大事な「業」っちゅうで庶民も風呂にへえらしてもらっとうどって。ほのころは、蒸気浴があたりめえさ。葉山御用邸を見してもらっとう時も皇族が使う風呂を見とうけんど、これも蒸気浴の風呂だったね。かんげえ(考え)てみると一口に「風呂」っちゅっても、いろいろあるもんじゃんね。
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