山梨独特の節句人形・おかぶと(かなかんぶつ)
こんにちは、まゆこです。
お天気にも恵まれ、明日の「春のこどもまつり」はとても気持ちの良いイベント日和になりそうです♪
豊富郷土資料館では、様々な端午の節句人形を展示して皆様をお迎えしています。
その中でも本日は、山梨独自の端午の節句人形で江戸後期から明治中期に流行した「おかぶと(別名かなかんぶつ)」をご紹介します。山梨でも現在ではほとんど見かけることのない大変貴重なお飾りです。
常設展示室内のおかぶと
このおかぶとについては、昭和48年に発行された上野晴朗著の「やまなしの民俗」に詳しく記録されていますが、その記述によるとこの独特の節句人形は甲府の雛問屋が作り、売子が「かぶとー、かぶとー」と、天秤棒で担いで売り歩いたものだそうで、親戚などからの贈り物として届いた「おかぶと」は外から見えやすい縁側などに飾られました。
当館所蔵の「おかぶと」2点は、紙製の張り子のお面に厚紙でできたよろいのような垂れがついています。しかし文献によると、お面の上には前立(まえだち)という紙製の飾りがつくのが販売された当時の姿の様です。前立の飾りは、将棋の王将の駒の両脇に、かぶとにつくような鍬形がついています。
そして、おかぶとはこの前立・紙製の張り子の面・垂れのセットを木の棒で支えて立てる飾り物なのです。
明治19年山中共古著「甲斐の落葉」よれば、「五月五日幟鯉ヲ立ルコト東京ト替リナシカナカンブツト称スル兜人形ハ他国ニ見ザルモノニテ・・・」と紹介されています。
絵図右側に「カナカンブツ」という名で紹介。
また、お面の種類には様々なものがあり、「源氏の大将たち」「武田信玄・勝頼と上杉謙信」の他、秀吉、天狗、役者、中国の歴史上の人物など多彩であったようですが、上野氏によると、明治25、6年頃から流行らなくなり、明治35、6年頃にはまったく売れなくなり製作されなくなったといいます。
江戸時代から明治中期にかけて、甲州だけで独自に流行っていた節句人形があったなんて、面白いですよね♪
他にも当館にはお面だけですが、天狗のおかぶと2点も常設展示されています。ご覧になってみてください。
左「源義家」右「豊臣秀吉」 おかぶとを製作したのと同じ甲府の雛問屋作と思われる押絵もあります。
明日からの二日間、5月3日・4日はどなた様も無料入館できます。 見に来てね!
まゆこ
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