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2014年5月31日 (土)

アカタテハの群生

資料館の周りに小さな黒いチョウが群生しています。

Img_0130

あまりの多さに、隣の施設の女性は恐ろしがって近づいてきません。

何というチョウなのか、1匹捕獲して調べることにしました。

さて、捕獲したはよいけれど、殺すのはね…

などと思っていると、『冷凍室が一番いいよ』と

仲間が教えてくれました。

冷凍室で15分もしないうちに、十分観察することが出きました。

チョウの名前は「アカタテハ」でした。

Img_0133

黒くて不気味な感じもしますが、美しい感じもありますね。

日本国中に分布し、初夏から秋までたくさんいるようですが、

このあたりでは、毎年この時期に発生します。

興味のある方は、ぜひお出かけ下さい。

なお、7月初旬には、オオムラサキも出現します。

続きを読む "アカタテハの群生" »

2014年5月30日 (金)

山梨の養蚕習俗「ならびだんす」

こんにちは、まゆこです。

Dsc_02524齢1日目朝、起蚕消毒したところ。「ナラビダンスを飼育箱に供える」

 3齢5日目の朝から4齢1日目の夕方までの約36時間は、蚕が「眠」状態→脱皮するまで、給桑をしません。そのため、養蚕家は束の間の休息を得ることができます。

 山梨では、その間に繭のようにまっ白なお団子をつくって食べるという習慣がありました。そのお団子のことを「ならびだんす」といいます。山梨の言葉で「ならぶ」とは、かいこが「眠」状態のことをさし、「だんす」とは「団子」のことです。

 ただ、「ならぶ」時につくるお団子は中央市内でも様々な呼び方をしていたらしく、ただ「おだんす」といったり、「ならびだんご」ともいったようですけれど、まゆこは「ならびだんす」という心躍るネーミングを一等気に入っています♪(昨年の記事、まゆこのつぶやきカテゴリーから「おかいこさんとナラビダンス」も読んでみてね!)

H26424齢1日目夕方、桑付け

「起蚕がさっそく蚕食している!(葉の端から食べ始めましたよ)」

 さて、蚕は成長過程で4回の眠を経過して脱皮しますから、春蚕中だけでも4回も「ならびだんす」を作る機会があるのですが、だいたいは最後の4齢の「眠」の時のみにこさえることが多かったみたいです。そして、桑の葉を下に敷いた「ならびだんす」はお盆に乗せて飼育かごへ上げます。さらに神棚や仏壇にも供えて蚕の健やかな成長を祈りました。それから、その日のうちに下げて家族皆で食べたそうです。あんこ入りのおいしいお団子は、その後すぐにやってくる起蚕の猛烈な食欲に対応するための作業を前に、鋭気を養う意味合いもあったと思われます。

Dsc_0259春の桑の木には、おいしそうな「かみず(クワの実)」がたくさんついている。

 中央市の84歳の養蚕家・中込さんにお聞きしても、子供の頃、養蚕中に度々作る甘くておいしい「ならびだんす」はとても楽しみだったと話してくれました。

 養蚕の衰退とともに現在の中央市では、もうほとんど忘れられた「ならびだんす」の存在ですが、養蚕の苦労とともにあったとても素敵な女性らしい習俗なので、資料館での飼育期間中はなるべく「眠」ごとに「ならびだんす」を再現して食べよう!と画策している食いしん坊のまゆこです♪

Photo
まゆこ

 

2014年5月29日 (木)

ミニ企画展『竹』展示品より(その1)

 ミニ企画展『竹』で展示しているものや、展示しきれないけれど見てほしいものを少し紹介したいと思います。

 まず最初は、割籠(わりご)です。最初はおしゃれなカバンだと思ってみていたのですが、なんだろうと思ってあちこち調べていくと、割籠だということがわかりました。つまり弁当箱です。割籠という名前からすると竹製でいいと思いますが、木製のものも多かったようで、用途によって使い分けていたようです。

 

Dscn54462 長辺が28cm、短辺が19cmの割籠

 この割籠は外側を細い竹ひごを網代編みにして作っています。色のついた竹を使うことで模様を織りだしているところがとてもしゃれています。

Dscn54472_2 内側も網代編みで二重になっている

 内側も網代編みですが、外側より幅の広い竹ひごを使っています。二重にすることで強度を出したものと思われます。この割籠には入っていませんでしたが、本来はこの中に仕切りが入っていてそれで食品を分けていたそうです。

Dscn54482 取っ手や鍵などの金具もおしゃれ

Dscn54522 長辺が18cm、短辺が12cmの割籠

 こちらの割籠は上の割籠の半分くらいの大きさで、外側は籠編み、内側は網代編みです。取っ手のついているところも上の割籠とは異なります。今でも充分通用するデザインですので、こんなランチボックスでピクニックにおでかけできたらいいですね。

2014年5月27日 (火)

風呂の話(2)

Tomiko

 先だってまで近くの山にゃあ雪ん残ってとうっちゅうに、急に暑くなったじゃんね。うちにもおぼこさんが来て、まいんち桑とりでやせったくなったよう。

 ほんじゃあ、話のつづきをしやしょう。
 

そういうわけで、坂道を下ったとこにある知り合いのええ()にもらい風呂に行くこんになっとうさ。結構長い間通ったような気がするよう。行くのはそのええばっかだったね。着替えがへえ()っとう風呂敷を持ってね。風呂のあるおっちゃんのええは、おっちゃんとおばちゃんの二人きりだったけんど、うちの親子6人とか、そのほかにも近所の人とかが来て、大勢がそこのええの風呂に入ったと思うよ。水は井戸からくんできて、薪でわかしたから、おっちゃんとおばちゃんは、えらかったさ。大勢へえれば湯は減るし、ぬるくなるだからね。そのたんびに水を足したり、薪をくべたりしなきゃあならんだから。

Dscn54382 髪を洗ったら梳き櫛でとかす

 風呂はやっぱり外にあったね。母屋の横にくっつけて小屋を作って、そん中にあっっとうさ。屋根もあるし、周りも囲ってあったけんど、板と板の間は隙間があいてるし、上の方と下の方もぴったりとくっついてはいなかったさ。ほんだから、上からものぞけるし、板の隙間からも中が見えるっちゅうわけ。だれものぞかんけんどね。風も入ってくるよ。ヒートショックだなんだと騒がしい今での衆にゃあ、絶対にへえ(入)れん風呂だね。

 

家族全員がへえり終わるまでお茶やまんじゅうをよばれたり、『こども家の光』という雑誌をみせてもらったりして時間を過ごしとうもんどう。綿入れのはんてんを着てけえ(帰)ったこんもあるけんど、湯冷めなんちゅうこともなかったね。行く道、帰り道にゃあ提灯は必需品で、提灯を持つ役をやりたくて取りっこだったさ。おっちゃんのええには子どもはいなかっとうけんど、なんで『こども家の光』があったずらかね。

Dscn54432 夜道の必需品だった提灯

 風呂を借りたええのおばちゃんは、明治の終わりか大正の初めのころの生まれだっとうずらね、「ぬか袋」で体を洗ってとうさ。うちにはぬか袋っちゅうもんはなくて、四角くて白いせっけんで体を洗ってたけんど。洗濯用の石鹸じゃあねえよ。おばちゃんは「かもじ」っちゅうもんを入れて髪を結ってたね。

Dscn54412 髪を結う時に使うかもじ

 

2014年5月26日 (月)

「蚕食」って?

 こんにちは、まゆこです。

 3434日目ふ化から11日目 体長2.5H26.5.25午前

 もう桑葉は刻まず、一枚ずつそのまま与えています。

Dsc_0241 おかいこさんの食べ残し。

 葉脈以外の柔らかいところのみを上手に食べます。

 ん!? でも、「蚕食(さんしょく)」という言葉があるのをご存知ですか?

 でもこれは蚕食ではないですよね?3齢のかいこは、まだ桑葉の裏から舐めるようにして次第に穴をあけて食べています。

「蚕食」とは、「蚕が桑葉の周辺からみるみるうちに食べ尽くしていく様子にたとえ、他の領域を片端から次第に奥深く侵略すること」等と、調べると出てきます。使用例としては、「中央市周辺の田園風景が大型ショッピングセンターの開発に伴い、みるみる住宅用地に蚕食された」といったような感じでしょうか。

Dsc_0243葉の裏から穴を開けて食べているかいこ。

 さて、かいこは何齢から言葉の意味通りの「蚕食」する?のでしょうか。 なんだか主客転倒なおかしな話ですが、今回の春蚕の飼育観察で確かめたいと思います。脱皮後の4齢からかもしれませんね。

 昨日(H26.5.25)の夕方の給桑で、桑止めしています。桑止めとは、蚕が脱皮準備の為の「眠」状態になるため、給桑を丸一日以上ストップする状態のことをいいます。

 飼育箱のおかいこたちがそろって脱皮してくれていると、明日の夕方には桑葉を与え始めることができます。成長の度合いが不揃いになっていると、桑葉を与えるタイミングを遅らせることで、調整しなくてはなりません。さぁ、どうなりますでしょうか?

 「蚕食」するかいこをゆっくり観察できるのは、明日の心配を乗り越えてからのことになります♪

Photo まゆこ

 

 

2014年5月22日 (木)

H26春蚕3齢1日目・網入れ、桑付け

 こんにちは、まゆこです。

 

Dsc_0228 3齢1日目朝(ふ化から8日目)

 朝出勤すると、2齢の「眠」から覚め、3齢になった起蚕(おきっこ)たちがえさを求めて少し動いていました。

Dsc_0230 網入れしたところ。

 そこでさっそく、飼育箱に移動して網入れ(お蚕の上に網をかぶせること)をします。

Dsc_0233 2齢まで人工飼料であったおかいこが、はじめて生桑葉を食しているところ。

 そして、その網の上から柔らかそうな桑の葉をちぎってのせますと、すぐに網の目をくぐって桑葉を食べにのぼってきました。 まゆこ「なんていい子ちゃんたちなの~、えらいわぁ♪」とつぶやく。→館長チラッと見て、ビミョーに無視したよん。

このおかいこは「春嶺(しゅんれい)×鐘月(しょうげつ)」という品種です。

 中込家に配蚕しているJAふえふきの久保田さんによると、このおかいこの種(たね)は長野県の上田蚕種から購入し、山梨県富士川町で稚蚕飼育し、2齢の眠に入ったところで各農家に配るそうです。その後、各農家で作られた繭はすべて甲斐絹(かいき)として製品化されるのだそうです。

 

Dsc_0221 H26 5月21日(水)中込家蚕室に配蚕されたところ。

 織物にするには、まず繭から糸を作らなければなりませんが、その作業を行う製糸会社はどこなのか? 中込さんの生産した繭は出荷された後、次はどこにいくのか?   JAふえふきの久保田さんには今日、電話でいろいろとお聞きしたのですが、まだまだ質問したいことが山のように浮かんできて収拾がつかなくなってしまったまゆこ。お仕事の邪魔をしてはいけませんので、日をあらためて整理した質問集を握りしめ、お話を伺いに参りたいと思っておりますっ♪

 さて、今日は午後5時くらいにもう一度給桑する予定です。明朝はどのくらい大きくなっているかなぁ? 毎朝の出勤をワクワク楽しい気持ちにさせてくれるおかいこさんたち。「オフィスでおかいこ」おすすめですよ♪

Photo

まゆこ

2014年5月21日 (水)

H26春蚕来ました!

こんにちは、まゆこです。

 

 本日521日、春蚕(はるご)の展示飼育がはじまりました。

Dsc_0224まゆこは去年と同じくうれしくて、豊富村誌に書いてあったように、昔の人に倣ってお赤飯炊きましたよ。期間中はお蚕を飼育しながら先人の行ってきた養蚕に関する習俗をできる限り再現することを心掛けたいと思います♪

Dsc_0227体長1㎝2齢3日目(ふ化から7日目)。只今「眠(みん)」状態。

 うっ、ちいちゃくてかわいい! 5齢になると、まるまる太って8cmくらいになりますからね!皆さん今後の成長過程を6月半ばまで、一緒に楽しみましょう♪ 

今年の春蚕も中央市で唯一続けていらっしゃる養蚕家から分けていただいたものです。きょうの朝945分位に豊富地区の中込文義さんの蚕室に伺って、2齢3日目の稚蚕を60頭ほど?いただいてきました。

Dscf5517写真はH25年10月の晩秋蚕の時の中込家蚕室

84歳の文義さんは4月のはじめに体調を崩されたそうで心配していましたが、桃の栽培はさし置いても、「おかいこは必ずやらにゃ!」と頑張ってくださっています。

まゆこにとって2回目となる春蚕飼育期間、今回はこの文義さんの養蚕仕事も記録していけたらいいなという目標をもっています。

資料館の人員が少ないので、文義さんの作業時間に合わせて取材に行くのは難しい時もあるでしょうが、まゆこなりに頑張ってみたいと思います。

 

みなさん、当ブログでの文義さんの雄姿もお楽しみにね! 

 

 

まゆこPhoto

2014年5月18日 (日)

「蚕ブラシ」と豊産商事

 こんにちは、まゆこです。

最近、養蚕についての関心が高まり、中央市内外から様々な情報をわが資料館に教えてくださる方が増えており、たいへんうれしいまゆこです。

 

回転蔟の事例もそうですが、養蚕やその道具にまつわる歴史証言をしてくださる機会や人はどんどん減少していきます。地域の方々や出身者のみなさんから得られた資料を速やかに展示に反映できるようにしたいと思っています。

 今回はそんな新情報から、かつて中央市豊富地区をシルクの里と言わしめた養蚕関連産業の一つ、「蚕ブラシ」についてご紹介します。

 昭和時代、豊富地区大鳥居には、「豊産商事(ほうさんしょうじ)」という蚕具会社がありました。そこで製造していたのがこの「蚕(さん)ブラシ」と呼ばれた蚕具です。 

Dsc_0170「新しく収蔵された3点の蚕ブラシ。右端の細いブラシは格子型蔟の枠内の毛羽をとるもの」

2544_4 「昭和38年の特許庁実用新案公報に公告された図面」

 

 「蚕ブラシ」は回転蔟についた毛羽を取り除く専用のブラシです。「豊産商事」の経営者の田中菊春さんは「豊富のエジソン」といわれたほどの知恵者で、実用新案出願した蚕ブラシは、1950年代から1974年に菊春さんが亡くなるまで旧豊富村大鳥居でつくられていました。

 

 その後は生産を継いだ娘さんたちが静岡に工場を建てるなど、交代で注文をこなし、1985(昭和60年)頃まで生産販売していたということです。注文は全国の蚕具問屋からあり、特に愛知県名古屋市中村区則武にあった「側島」という蚕具問屋からは毎年大量に注文を受けていたということでした。

 Dsc_0172 「針金の先端がくの字に屈曲している」

 針金が植毛されたゴムは別の会社につくらせていましたが、この針の先端を前方に微妙に曲げてあるのが重要で、手で毛羽をむしり取るよりも能率はずいぶん上がったそうです。その後、電動ゴムベルトで毛羽取りする機械が買えるようになるまでは、養蚕家はこのブラシで回転蔟についた毛羽を掃除していたのです。

 これまで当館にはブラシの針部分がつぶれた資料1点を収蔵し展示していましたが、このブラシが昭和時代の豊富地区で製造販売されたものだということは分かっていませんでした。

 この事実は「蚕ブラシ」を製造していた田中菊春さんのご長女から教えていただいたのですが、そのご長女は現在、齋藤さんとおっしゃり、なんと回転蔟を大正時代に発明した齋藤直恵さんのお孫さんに嫁がれた方だったのです。

 回転蔟についての調査を行う過程で、このような中央市の先人に深くかかわる人物や事象に出会えたということに、不思議な縁を感じずにはいられません。そして齋藤さんのご親族のお力もお借りして、新たに3点の蚕ブラシを収蔵するに至りました。

 

Dscn0263 「大鳥居にあった豊産商事の前で。出荷のため積み上げられた箱と田中菊春さん」

 同じ豊富村木原の「渡辺回転蔟製作所」と同じ通りの並びに存在していた「豊産商事」。

 養蚕の村であった中央市豊富地区のシルクストーリーがまた一つ明らかになりました。先日富子さんが似たようなことを言っていましたが、地域のみなさんの寄せてくださる証言や実物資料によって、資料館がどんどんパワーUPするのを実感します。感謝です♪

Photo

まゆこ

 

 

 

 

2014年5月17日 (土)

風呂の話(1)

Tomiko

 

富子だけんど、草ばっかでかくなって弱ったもんじゃんね。

 

これっからちっと、風呂の話をしっかと思ってるどうけんどさ。子どもの頃、家の風呂はお勝手の土間の隅にあっとうさね。風呂桶のまわりは壁で仕切られてたけんど、洗い場はお勝手から丸見えだったさ。洗い場っちゅったって、たらいの上に板がのっけてあるだけで、たいへんの水を流すこんはできなかったような気がするよう。家だけじゃあなくて、結構そういう家は多かったね。

 

だから風呂場は外に作る家が多かっとだよ。うちのお母ちゃんの家でも外にあったし、おだんなの家でも外にあった。友達の家でもそうだったねぇ。外だったら、なんぼでも水をこぼすこんができるじゃんね。ほれに、井戸も外にあるから水を汲んでくるのにも都合がよかったさね。

 

風呂にへえらん日にゃあ、湯を洗面器だのバケツだのに汲んで顔や足を洗っとうさ。おもしれえこんに、朝は顔を洗わなかっとうだよね。お母ちゃんは、朝洗うと顔にひびっきれができるから洗わんでいいっちゅってたからね。ほんだから学校へ行くっちゅうと、友達が顔を洗ってくるのが不思議だっとうさ。そん時が人生初めてのカルチャーショックだっっとうさね。夏にはたらいを持ち出して行水をしとうもんどう。お勝手の前の小さい庭で水をあびたさね。子どもはそれでもいいけんど、親はどうしてとうずらか。

 

Dscn53262 洗濯や、行水に活躍したたらい

家の五右衛門風呂はあんまりいいのじゃなくてね。土間より低いところに火を燃すところがあったから、空気の通りが悪くて、いっさら火が燃えんだよ。お勝手は煙だらけどう。煮炊きも竈の火でするから、そっちからも煙が出るっちゅうわけ。煙は上の方にたまるから、子どもんとうは背を低くして、煙の薄い下の方で煙が静まるまでがまんするさ。風呂桶からはちっとっつ水ん漏れてたから、せっかく燃えついた火に水がかかって、もっと煙が出ちまっとうさ。困りもんの風呂だっとう。

 

Dscn53202 底が鉄でできている五右衛門風呂

2014年5月16日 (金)

回転蔟発明者・齋藤直恵さんについて

こんにちは、まゆこです。

 

「いやぁ、ブログをやっててよかった♪」とつくづく思う出来事がありましたので、お知らせします。

 

以前に、『回転蔟は大正13年~15年頃に山梨県中巨摩郡龍王村の齋藤直恵さんが発明したものである』ということを、まゆこのつぶやきカテゴリーの中で「富子さんの部屋③」の記事に書きました。

大正時代の特許情報を調べて判明したことですが、これまで発明者である齋藤直恵さん個人については手がかりがなく、全く不明でした。

しかし、山梨県人が回転蔟を発明したという事実に、意外にもまゆこの予想を超える反響がありまして、新聞に取り上げられた結果、なんと齋藤直恵さんのお孫さんと連絡をとることができ、ついに当館に来館いただくことになり、お会いすることができたのです!

 

Photo「回転蔟発明者・齋藤直恵さん」

そして、回転蔟の発明者・斎藤直恵さんの在りし日のお姿を撮影した写真をいただくことができました。いろいろとお話を伺うことも出来ましたので、千葉県在住のお孫さんからの情報をもとに直恵さんの足跡をたどってみました。

Photo_5「常設展示室内の回転蔟模型」

(

齋藤直恵(さいとうなおえ)1878~1941

(明治11年3月29日生まれ~昭和16年7月31日没、享年63歳)

 

明治11年3月29日 山梨県龍王村の蚕種家に生まれる。

大正12年12月1日 「格子型蔟用出収繭機」ではじめての特許出願 45歳

 

大正14年11月4日 回転する発想を出願  47歳

昭和4年4月 世界初回転蔟製作販売会社「特許上蔟器製造株式会社」設立 51歳

昭和16年7月31日 龍王の自宅で生涯を終える。  63歳

以上の様な簡単なプロフィールを作ることができました。

  

また、まゆこが調べた斎藤直恵氏の情報とご家族からいただいた資料をもとに、齋藤直恵さんはどんな人であったかを簡単ですが、2階養蚕コーナーに解説文として作成することができました。

 Photo_7斎藤直恵さんはどんな人?

 斎藤直恵(さいとうなおえ)は明治11年(1878)、山梨県中巨摩郡龍王村龍王(現甲斐市)で、蚕種家を営んでいた両親のもとに生まれました。

 直恵は47歳の時、自宅の納屋兼養蚕室で試行錯誤し、現在ほとんどの養蚕家が使用している回転蔟の原型を発明し、「回転する格子型蔟支持枠」を特許申請しました。

 その後、昭和4年4月に甲府市紅梅町13に世界で初めての回転蔟を製造販売する会社「特許上蔟器製造株式会社」を親戚の寺田誠三郎とともに設立し、製造工場は龍王駅前に設置しました。

 

Photo_3

 

「現在も甲斐市に残る齋藤家の納屋兼蚕室」

 そして、甲斐市竜王には、斎藤直恵さんが大正時代に回転蔟を開発した納屋兼蚕室がまだ残っています。平成26年2月8日と14日の山梨県を襲った記録的大雪にも崩れることなく耐えた立派な建物です。

切妻屋根の上には、養蚕家屋独特の換気をよくするための突き上げ屋根を設けています。

この養蚕家屋の様式は、世界遺産候補となっている群馬の富岡製糸場と絹産業遺産群の一つである、明治24年に建てられた「高山社(たかやましゃ)跡」の建物とよく似ています。通風と温度管理に適したこの建築様式は、養蚕教育機関であった高山社が提唱した「清温育」という蚕飼育法とともに、日本全国に広まったそうです。

 

齋藤家の蚕室は、一部ガラス戸の残っているところもあり、回転蔟開発基地であった大正12年頃、この周辺は現在ほど家屋が混み合っていなかったでしょうから、遠くからも目立つくらい大きな建物だったのではないでしょうか。

 

まゆこはこの建物の写真を撮り終えた後、「今から90年ほど前、この建物の中で斉藤直恵さんは回転蔟を発明したのだなぁ」としみじみと感慨にふけっていたら、突然身震いしました。そしてはっと思い立ち、「直恵さん、今もあなたの発明した回転蔟は健在です!百年経ってもずっと使い続けられる養蚕道具のスタンダードになりましたよ!」とこの建物の中で試行錯誤する直恵さんの姿を想像し、思わず声をかけてしまいました。

 

齋藤直恵さんは昭和16年に亡くなっていますから、山梨県内で昭和15年頃には半数の養蚕農家が使用していたことはご存知だったかもしれません。しかし、全国的には昭和30年代に爆発的に使用率が上がったのですから、日本中から特許申請された数ある蔟の中で、回転蔟が上蔟器の王者となった状況を知ることはなかったでしょう。

 

Photo_6

蚕の性質を存分に生かして上蔟作業を著しく効率化したばかりでなく、繭そのものの品質向上にもつながった回転蔟。

 

この養蚕具を発明した齋藤直恵さんという人を、山梨県民である地元の人々がもっと知り、評価してもよいのではないかな?と思えて仕方ない最近のまゆこです。

 

中央市豊富郷土資料館では、今後も齋藤直恵さんをはじめ、日本の近代化と戦後の復興を支えた養蚕業に貢献した地元の偉人たちを積極的に調査・展示・紹介していきたいと思います。

Photo_4「回転蔟と斎藤直恵さんについて、もっと知りたい人は資料館のまゆこにきいてね。いっぱい語っちゃうぞ!」まゆこ

)

 

2014年5月11日 (日)

「五月の大掃除は蚕の準備」

こんにちは、まゆこです。

 今日は春の連休明けの最初の日曜日。資料館のある豊富地区では、河川の草刈など多くの人が地区の掃除をしている姿がみられました。

 

Photo_2「笛吹川での蚕具洗い」昭和38年5月撮影・小沢究さん提供。 むしろを洗う親たちの横で子供が二人、手伝っているのかな?水遊びしています。まだまだ冷たい水に入っての作業は大変だったでしょうね♪

 五月のこの時期、昔も豊富地区では日曜などに日を決めて大掃除をしたそうです。畳を片づけて、障子も張り替えたのは蚕の準備のためでした。

Dsc_0202豊富地区大鳥居川東地区の蚕影山(こかげさん)。そして、掃除が終わると、地区の蚕影山にお参りをしました。

 まゆこも、「なむ、おかいこがみさん」と手を合わせてきましたよ!

545豊富郷土資料館では、この春も5月20日頃から、春蚕(はるご)の展示飼育を行います。6月半ば位までの飼育になると思います。

 おかいこが、2齢(ふ化から6日目)から繭を作るまでの過程を当館にある養蚕道具を使って育てながら、観察していきます。その過程で先人が工夫してきた道具・養蚕に関する習俗・技術を学び、最後には繭の収穫や毛羽取り作業を来館者の皆さんに体験していただきたいと考えています。

どうぞ皆さん、おかいこさんにも会いに来てくださいね♪

Photo

まゆこ

2014年5月 8日 (木)

ワタの話(11)

Tomiko

 富子だけんど、畑仕事で、こしっぽねを痛くしちゃあいんけ?あんまり無理をしちょしよ。

綿からとった糸で織物をしとう話をするっちゅっといてっから、ええかん時間がたっちゃったじゃんね。まず、機織り機だけんど、子供のおもちゃの機織りを使わっかと思ったけんど、やっぱし原理がわかるもんがいいと思って、子供向けの本に載ってとう機織り機を、館長にごむしんを言って作ってもらっとうさ。材料は、なんちゅっても、無料で手に入る竹だよね。竹ひごを28本並べて、上と下を木に固定させただけの簡単なもんさ。竹ひごの中心にゃあ孔を開けておくっちゅわけ。

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Dscn47692

ほうしたら、経糸を用意するさね。経糸は自分で作った糸じゃあ足りんから、細い凧糸を使っとうさ。竹ひごの間を通す糸と、竹ひごの孔を通す糸でけっこう幅のあるもんができるだよね。経糸を幾本かっつまとめて細い竹の棒にかけて、その棒を腰に紐でくくしっつけて織り始めるっちゅうわけ。杼(ひ)も竹製だからね。機織り機を上に上げちゃあ緯糸を通し、下に下げちゃあ緯糸を通しっちゅうこんを繰りけえして、おりもんができてくるさ。素人が綿から取っとう糸は、太いところんあったり細いところんあったりして、うまかあないどうけんど、それがまたおもしれえとこだよね。ここまで織ったら糸が足りなくなっちまったから、また糸取をしなけりゃあならんねぇ。

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ワタの話はこれで終わりにしてえと思ってるさ。茶色や緑のワタや和綿が育ったらちっと書くかもしれんけんどね。楽しみにしといとくんねぇ。

 

 

 

2014年5月 6日 (火)

春のこどもまつり開催

 

5月3・4日に春のこどもまつりを開催しました。

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たいへんな賑わいで、狩猟体験や魚釣りゲーム、竹のけん玉、針金のくるくるコースター、ゴム鉄砲を体験すると、祭りの参加賞として「こいのぼり付きかざぐるまキット」を差し上げ、館内で作りました。

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子供たちは出来上がった風車をもって、楽しそうに遊んでいました。

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今年は小学校低学年から幼児と、親子、祖父母の方々が多く、二日目には用意した220個の参加賞は、終了時間前に出てしましました。来年は300個くらい必要?かと、思います。頑張るぞ・・・?

このほか、シルクの里公園と大福寺の文化財をめぐるウォークラリーを行いました。源平合戦で活躍した、源氏の武者浅利与一の墓や仏像などの文化財を初めて知った方も多かったようです。

この行事に続いて、7月6日には「七夕まつり」、7月26日(土)は「資料館開館20周年記念事業」、8月2・3日は「こども夏まつり」とつづきます。

どうぞまたお出かけ下さい。楽しい企画をたくさん用意しています。

また、祭りを支えていただいた中央市歴史文化ボランティアの方々ありがとうございました。

2014年5月 5日 (月)

ワタの話(10)

Tomiko

富子だけんど、今日はせっかくの連休だに、あいにくの天気じゃんね。

「ミニ企画展 綿と棉」はついせんころ終わっとうけんど、この展示は、さわるこんができたり、体験するこんができたりするっちゅうところが、うんとよかっとうようで、好評だったさね。資料館で糸取りの体験ができるっちゅうこんで、わざわざ富山県から来てくれとう人もいるだよ。すごいじゃんね。大人は、綿から糸が取れるっちゅうこんは知ってるけんど、実際にどうやるかっちゅうは知らん人が多いからね。糸になるとこを見たり、自分でやってみたりするっちゅうと、感激してくれるだよね。うれしいこんじゃん。

うれしい話はまだあるだよ。「資料館で展示していたワタは洋綿なので、和綿をあげます」っちゅって、ワタを何種類も送ってくれた人がいるさ。茶色のワタや緑色のワタも種と一緒に送ってれたから、さっそく展示させてもらったさ。種はまた今年も栽培しっかと思ってるところさね。資料館のボランティアのしゅも、畑にワタを作ってくれるっちゅうから楽しみじゃんね。

Dscn50332 茶色のワタ、緑のワタも並びました

新聞に、資料館の館長がつくった糸車で糸取りをしてるミニ企画展の記事が載ったさね。ほうしたら、「本物の糸車があるからあげます」っちゅって、くれた人があっとうだよ。まだ新しくて、あんまり使っちゃあいん糸車さ。うれしいこんじゃん。もらってきてさっそく展示させてもらっとうさ。これっからも大事に使わせてもらうじゃんね。いっしょに実繰りももらったから、ワタが採れたら使わせてもらわっかと思ってるさ。

Dscn50352 2台の糸車が並びました

こんだの展示にゃあ、いろいろな人に協力をしてもらって、本当にありがたいこんだよね。こうやっていけば、資料館はどんどんみんなんで作る資料館になって、自分とうの資料館になっていくじゃんね。いいこんだよね。

2014年5月 2日 (金)

山梨独特の節句人形・おかぶと(かなかんぶつ)

こんにちは、まゆこです。

お天気にも恵まれ、明日の「春のこどもまつり」はとても気持ちの良いイベント日和になりそうです♪

豊富郷土資料館では、様々な端午の節句人形を展示して皆様をお迎えしています。

その中でも本日は、山梨独自の端午の節句人形で江戸後期から明治中期に流行した「おかぶと(別名かなかんぶつ)」をご紹介します。山梨でも現在ではほとんど見かけることのない大変貴重なお飾りです。

 

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常設展示室内のおかぶと

このおかぶとについては、昭和48年に発行された上野晴朗著の「やまなしの民俗」に詳しく記録されていますが、その記述によるとこの独特の節句人形は甲府の雛問屋が作り、売子が「かぶとー、かぶとー」と、天秤棒で担いで売り歩いたものだそうで、親戚などからの贈り物として届いた「おかぶと」は外から見えやすい縁側などに飾られました。

当館所蔵の「おかぶと」2点は、紙製の張り子のお面に厚紙でできたよろいのような垂れがついています。しかし文献によると、お面の上には前立(まえだち)という紙製の飾りがつくのが販売された当時の姿の様です。前立の飾りは、将棋の王将の駒の両脇に、かぶとにつくような鍬形がついています。

 

そして、おかぶとはこの前立・紙製の張り子の面・垂れのセットを木の棒で支えて立てる飾り物なのです。

 

明治19年山中共古著「甲斐の落葉」よれば、「五月五日幟鯉ヲ立ルコト東京ト替リナシカナカンブツト称スル兜人形ハ他国ニ見ザルモノニテ・・・」と紹介されています。

Dsc_0176「なんだかユーモラスなお人形よね!」byまゆこ

絵図右側に「カナカンブツ」という名で紹介。

 また、お面の種類には様々なものがあり、「源氏の大将たち」「武田信玄・勝頼と上杉謙信」の他、秀吉、天狗、役者、中国の歴史上の人物など多彩であったようですが、上野氏によると、明治25、6年頃から流行らなくなり、明治35、6年頃にはまったく売れなくなり製作されなくなったといいます。

江戸時代から明治中期にかけて、甲州だけで独自に流行っていた節句人形があったなんて、面白いですよね♪ 

Dsc_0093他にも当館にはお面だけですが、天狗のおかぶと2も常設展示されています。ご覧になってみてください。

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 左「源義家」右「豊臣秀吉」 おかぶとを製作したのと同じ甲府の雛問屋作と思われる押絵もあります。

明日からの二日間、5月3日・4日はどなた様も無料入館できます。 見に来てね!

 

Photo

まゆこ

 

 

 

 

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