端午の節句に飾られなくなった人形たち
こんにちは、まゆこです。
桃の節句、端午の節句と豊富郷土資料館ではお人形祭りが続く中、「いったい君たちは誰なの?」と問いかけたくなるような、まゆこの知らない人形たちとたくさん出会いました。
特によくわからなかったのは神武天皇など記紀伝承上の人物をモチーフにしたお人形たちです。戦前は多く飾られていたようで、収蔵品にも同じ主題と思われるお人形が数セット存在するものがあります。
左から応神天皇を抱いた武内宿禰・神功皇后
中でも、赤ちゃんを抱いている老武者と武装した女の人がセットになっているお人形は3セットもありました。神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇を抱く武内宿禰(たけうちのすくね)のセットだということがわかりましたが、まゆこにはなじみのないお人形だったので、端午の節句に飾るお人形にしては特異なものにうつりました。
赤ちゃん紛失のまま収蔵された神功皇后と武内宿禰(ざんねん)
神功皇后と武内宿禰は、大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物で、神功皇后と武内宿弥と応神天皇(3人揃い)の人形は、新羅を攻略した神功皇后が応神天皇を抱いた武内宿弥を従え凱旋する様子をモチーフとしています。
また、明治時代の紙幣発行初期からこの二人の肖像は採用されており、当時の日本人にとってポピュラーな題材の一つであったのでしょう。
神功皇后と武内宿弥が朝鮮を攻め、百済を降伏させ、百済や高句麗を服従させたという「三韓征伐」の立役者を英雄視することは、「秀吉の朝鮮出兵」「明治の征韓論」「日韓併合」の大義名分にされたという説もあるようです。
戦前の子ども達とは全く違う歴史教育を受けた戦後生まれのものにとって、端午の節句の飾り物の中に武装した女子と赤ん坊を抱く翁という組み合わせの人形は異質なものにみえますが、明治・大正・昭和と続いた軍国主義(海外への出兵)という時局において、男子の節句にふさわしい勇ましいものの象徴としてとらえられ多く飾られたのでしょう。
他にも、加藤清正は豊臣秀吉の子飼いの家臣ですが、朝鮮出兵中に虎退治したという伝承があり、神功皇后たちと同じ理由で戦前の節句人形としてよく使われたモチーフだったのかもしれません。
お人形の素性がわかると、当時の人々のおかれていた社会情勢というものも垣間見えてくるようなのですから、興味深いですね。
まゆこ
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