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2014年4月10日 (木)

小麦の話(8)

Tomiko

  富子だけんど、元気け? あっちこっち桜だ桃だあが咲いていっぺんに春が来たような気がするよう。小麦の話もぼちぼち最後にしてえと思ってるどうけんね。

 脱穀しとう小麦は、1年間分のおまんまになるだから、おてんとうさんにあててしっかり干すだよね。庭に「むしろ」を敷いて、その上に薄く広げてね。雷が鳴ってにわか雨なんかが降ってくると、そりゃあへえ、大急ぎで取り込んだもんだね。干している間にスズメにもかなり食われたかもしれんね。小麦・大麦・そば・きび・ごま・豆なんかも、殻からはなすとみんなおてんとうさんに干すさ。朝に広げて、夕方に取り込むっちゅうのをを繰り返し、ちゃんと乾燥させてっからしまうっちゅうわけ。お蔵はあったけんど、ネズミが住み着いていたから、いろんなもんがかじられたり、食べられたりするから、油断がならんさ。入口は重い板戸で、一応錠前もあってね。ほんだから悪いこんをするとお蔵に閉じ込められたさ。ネズミはもちろん母屋にも住んでるから、夜になれば天井裏を走り回ってうるさいもんだよ。お母ちゃんが夜なべ仕事をしてえると、膝の先までちょろちょろよってきたというこんもあったらしいよ。妹は、動物好きだったから、まだ目も開かん、毛も生えちゃあいんネズミの子を見つけてきて、飼うと言ってたけんど、たぶん親にぶちゃられちゃったと思うよ。

Dscn49692 資料館に展示されている錠前

小麦粉がなくなるっちゅうと、袋に入れた小麦を麓の精米屋さんへ背負子でしょって持ってって、そこで粉にしてもらうさ。精米屋さんは粉にするもんの種類が違えば、いっしょに機械に入れるわけにゃいかんから、すぐに挽いてくれる訳じゃあなく、しばらく預けておくこんになるね。できたころにまた持ちに行ったり、精米屋さんにはオート三輪があったからそれで届けてくれたりしたもんさ。

 日本じゃあずっと製粉技術がよくなかったから、「粉」を使った食べ物ははぜいたく品だったらしいよ。ほんだから、庶民がうどん、まんじゅう、ほうとうなんかの粉食品を気軽に食えるようになっとうは、碾き臼が普及する江戸時代より後だっちゅうよ。都会じゃあ小麦を使っとううどんやてんぷらなんかの料理とか、まんじゅうなんかの菓子が作られるようになったらしいけんど。農家じゃあ粉に挽くっちゅう手間のかかる小麦は、ふだんはなかなか食えなかったって。粉はハレの日の料理になるこんが多かっただってよ。

2 資料館の石臼

 小麦やトウモロコシは精米屋で粉にしてもらったから、石臼を使って粉に挽くことはなかった気がするね。ほんだけんど、黄な粉だけは、焙烙で炒った後、石臼で粉にしていたさ。トウモロコシは山梨じゃあ「もろこし」って呼んでたね。そのころのもろこしは、今と違って硬粒種で、熟さんうちに焼いたり茹でたりして食うこともするけんど、固くなってからも役立つだよ。皮をむいて2本づつお互いに縛って、軒の竹竿につるして干しておいて、必要なとき実を取って使うっちゅうわけ。粉にして食うこともあれば、鶏のえさにもなる。一番好きだったのが、ときどきまわってくる「パッカン屋」さんに「もろこしのパッカン」を作ってもらうことだったね。もろこしと10円を持っていくとパッカンにしてくれるだけんど、釜の蓋をあけてパッカンを取り出すときにゃあ、すごい音がして、網に入りきれなかったパッカンが勢いよく外に飛び出してくるさ。これは、子どもたちが拾って食べるぶんだね。ほんのちっとのモロコシがものすごくふえて大きな袋(30kgの米袋)いっぱいになるし、甘くて本当にうまかった。

Dscn46472 今でも時々食べたくなる

 

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