みそっかすのお人形「横沢びな」
こんにちは、まゆこです。
中央市豊富郷土資料館では、4月6日(日)までひな人形展を開催しています。
先日のひな祭りイベントで行った「紙雛を作ろう!」も好評につき、会期中エントランスホールにおいて随時行うことになりました。(山梨のひな祭りは4月3日が本番ですから、まだまだ間に合いますよ!)
さて、本日は皆さまからのお問合せの多い、「横沢びな」についてご紹介したいと思います。
「横沢びな」は明治・大正時代に甲府横沢町の雛問屋の流れをくむ松本米兵衛の営む雛問屋(通称「松米(まつよね)」)が数多く製作し、山梨県の庶民に愛された、作りの質素な在地雛のことです。
詳細は昭和48年に発行された上野晴朗著「やまなしの民俗・上巻」に紹介されており、今回のひな人形展での横沢びなの解説において、参考にさせていただきました。
上野氏の記述によると、農村部の田圃道を売子が「ひなんどーひなんどー」と大声をあげながら、御膳籠(ごぜんかご)と呼ばれる四角の竹籠に横沢びなを入れて担ぎ、売り歩いたのだといいます。
手足の芯になっている針金を曲げるだけで、様々なポーズの横沢びながつくられた。
また、上野氏の横沢びなの記載部分冒頭は、「横沢びなは、みそっかすのように寂しい存在である」ではじまり、「たいして高価な雛様ではなく、晴れやかな雛壇の中では、片隅に追いやられて、泣きべそをかいているような風情が見られる」とつづき、その他にも、「一目で安物と分る・・・」「横沢びなは安物だったので・・・」「横沢びなは段物などの高級品はまったくなく・・・」とか、「舞か踊りか、手足を一寸あげてみたけれど、泣きべそをかきながら途中でやめてしまったようなポーズの不思議な人形」等と、たいへんネガティブな記述が連なります。
その他、作りが質素で手頃な値段であったため、現金収入の少ない農村の人々にとって、親戚への初節句の贈り物として格好の雛であったようだとも書かれています。
当館の横沢びなを見てみると、裏側が紙でつくられたものもあり、雛問屋が様々な価格帯を用意して庶民が買い求めやすいお人形を製作していたのではないでしょうか?
晴れやかな段飾りの中で一目で安物とわかってしまう不思議なポーズと表情の横沢びなの一群は、地元で多数制作された在地雛ですが、高級品で無いが故に、逆に現存するものが少なくなっています。
甲府の雛問屋作と思われる人形の一群(豊富郷土資料館では所蔵の雛人形のうち、主に人形のつくりや衣装の材質によって、甲府の雛問屋でつくられたと考えられる雛を横沢びなとして分類しています。よって、内裏雛、埼玉県岩槻でつくられはじめた裃人形等も含まれています)
上野氏によると、かつて田舎っぽい娘を「横沢雛のようだ」と形容することもあったようです。
しかし、「横沢びな」は山梨の庶民に愛され、私たちの郷土のひな祭りにおいて人々の記憶に深く刻まれた重要なお人形なのだと思います。まゆこは毎年恒例のひな人形展を通して、この横沢びなをイチオシで、このお人形が語る山梨の農村のひな祭り風景とともに伝承していきたいなぁと考えています。
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