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2014年1月20日 (月)

「富子さんの部屋」③(養蚕器具、蔟の変遷)

こんにちは、まゆこです。

 本日は富子さんの部屋最終講義ですよ♪ さあ、いよいよ「回転蔟」についてのご紹介です。

Dsc_2117 前回までのおさらいをサラッとしますと、「蔟(まぶし)」は小枝を集めてまとめた「粗朶蔟(そだまぶし)」から稲わらを折って利用する「折藁蔟(おりわらまぶし)」へと移行し、さらに藁の仕立て方を工夫して折り畳み自在になった「改良藁蔟(かいりょうわらまぶし)」へと進化しました。 今回はこの「改良藁蔟」の次に出現し、現代の養蚕において全国的に最も広く使用されている「回転蔟(かいてんまぶし)」についてお話したいと思います。

 Dsc_2006 板状のボール紙でつくられた一枚の蔟は、縦13個×横12個で計156個長方形で区画されており、その一つ一つの区画が蚕一頭一頭の営繭場所となります。さらにこの1枚の蔟を10枚一組にして支持枠に固定し、上蔟後は天井から三組ずつ吊り下げて使用します。 

 「回転蔟」という名称は、天井から吊り下げられ支持枠で固定された蔟が、営繭場所を探して上へ上へと移動する性質のある蚕の重量分布によって、回転するように仕立てられているところからきています。

 Dsc_5851 Dsc_5853 特許第70116号「回転する格子型蔟支持枠」斎藤直恵(特許電子図書館IPDLより)

 この回転蔟は、大正13年~15年の間に山梨県竜王村(現在の甲斐市)の斎藤直恵によって、板紙による区画蔟の原型と収繭器、自然上族装置として蔟を回転させる発想・器具等が特許取得されました。 山梨県では、昭和4年に回転蔟を製造販売する会社が設立され、山梨県下の養蚕家が使用しはじめます。様々な利点があったため、戦前の昭和15年には山梨県における50%の養蚕農家が使用していましたが、全国的には昭和30年代に急速に広まりました。

Dsc_2120 当館常設展示の回転蔟

 その利点には、(1)ボール紙という材質の利点 (2)区画されていることの利点 (3)吊るすことの利点 (4)回転することの利点 の4つのポイントがあり、それぞれの利点が養蚕技術の進歩に多大な影響を与えることになりました。

 (1)ボール紙という材質の利点→藁よりも堅固で半永久的な再利用に耐えうる素材でありながら、藁と同じく軽く安価で大量生産に向く素材でした。また、適度に水分を吸収するため、繭の品質に関わる乾湿度管理に適しています。

 (2)区画されていることの利点→板紙に切り込みを入れ、縦横組み合わせて作られるため、工場での大量生産が可能となり、改良藁蔟と同じく折り畳みも自在でした。また、区画された156個の長方形にむらなく営繭させることは、面的有効利用の究極でした。 その上、区画の大きさがすべて均一なので、2頭一緒に繭をつくってしまう玉繭(製糸に向かない不良繭)が皆無になりました。

Dsc_2118 折り畳んだ様子

 その他、区画蔟が養蚕家にもたらした最大の福音は収繭作業の驚くべき効率化です。

Dsc_5861 特許第61728号「格子型蔟検出用収繭機」斎藤直恵(IPDLより)

 斎藤直恵は大正12年の最初の特許申請において、一枚の区画蔟から一気に繭を押し出して収繭する道具を登録していますが、これはそれまでの蔟では考えられない発想でした。

Img_0066 繭掻き棒での収繭

 区画蔟は斎藤直恵考案の収繭器を買うことのできない養蚕家であっても、繭掻き棒と蔟を固定する台を使用すれば、収繭作業は改良藁蔟に比べてもあっという間に終了したのでした。

 (3)吊るすことの利点→区画蔟は板状なので、固定枠で10枚ひとまとめにして天井より上下に三段吊るすことで、空間の立体的利用ができ、小面積で多数の繭を収納することができます。また、蚕の排尿が蔟から落下するので汚染繭が減少しました。さらに、風通しが良くなることにより、営繭後の低湿度管理が徹底し、高品質の繭が生産できます。

(4)回転することの利点→上蔟中の蚕が上へ上へとのぼる生態を利用し、蔟の上部にカイコが集中すると人手を掛けずに自然に回転して、常に蔟上部が空いた区画となるようになっているため、大幅な労働力削減ができるということです。蚕の性質を蔟そのものを回転させるという着想によって最大限に利用した、蚕にも人にも優しい秀でた発想でした。

 現在では、全国の養蚕家のほとんどがこの「回転蔟」を使用しています。最近では「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録を目指している群馬県の動向がクローズアップされていますが、その中でもやはり、日本の典型的な養蚕風景として、回転蔟が天井狭しと吊り下がる養蚕家屋内の様子が写し出されていることが多いです。

Photo_5 かつての山梨県中央市内養蚕家での回転蔟使用例

 日本の養蚕業において画期的な道具となったこの「回転蔟」ですが、山梨県人の発明だったとは驚きです! しかし、斎藤直恵さんの特許申請時の住所は中巨摩郡竜王村(現甲斐市)となっていたので、竜王町村誌なども調べましたが、どこにも記載されていません。養蚕における重要な道具である蔟の機能的完成形である「回転蔟」を天才的な発想で生み出し、日本養蚕業・製糸業に偉大な貢献をした人物を地元の私たちが知らなかったなんて、まゆことしてもかなり悔しい気持ちです。

 今後は富子さんのお部屋から飛び出して、この回転蔟に関わる、「斎藤直恵さん」について、「販売会社として設立された特許上蔟器製造株式会社」について等々、もっともっと調べて皆さんにお伝えしたいと考えているまゆこです。

Photo_4 まゆこ

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