「富子さんの部屋」②(養蚕器具・蔟の変遷)
こんにちは、まゆこです。
今日は先ず、富子さんの手元に注目してください。彼女はいま熟蚕を一頭手に持ち、上蔟の時がきたことを見極めているところです。上蔟作業は「ひきひろい」とも言われました。
桑葉をモリモリと食べている真っ白なおかいこに混じって、体の色があめ色に透き通り、桑葉を食べずに上へ上へと登ろうとしている蚕が何頭か出てくると、そろそろ上蔟作業の開始です。
大正時代に入ると、生産量よりも機械製糸に向いている良質の繭の生産が奨励され、繭質を左右する営繭時の飼育状況が重要視されるようになりました。そのため、営繭の場となる蔟の改良に注目が集まるようになり、昭和初期にかけて、養蚕技術や器具に関する優れた発明が生まれました。
数本の藁を束にしたものを平行に置き、その間を鋸歯状になるように藁でつないだもので、連結部は細糸で縛ります。細糸の代わりに藁、針金を利用したものもあります。 発明者は明らかではありませんが、大正時代から使用されていました。
使用時にはアコーディオンのように広げて適当な空間を作り、使用が済めば狭くたためること、山型の適度な空間で営繭状態が良いこと、農家で自作も可能なことが長所でした。
また、大正時代初めから普及した養蚕技術である「菰抜き(こもぬき)」が容易であることから、当時としては、身近にある自然素材を利用できて養蚕技術的にも優れた最良の蔟といわれていました。 「菰抜き(こもぬき)」とは、熟蚕が繭をつくる直前に排泄した糞尿を取り除く作業のことです。 繭の品質不良(具体的には繭解舒率不良)は上蔟時の高温多湿にあるという知識が、全国的に大正初めころからひろまり、多湿の原因となる排泄糞尿を上蔟後除去する技術が普及していたのです。
しかし、収繭作業は折藁蔟と同じく、一つ一つ手で行う手間のかかるものでした。
この改良藁蔟は「小石丸」など、小型の日本原産種のお蚕にとっては足掛かりが良く繭をつくりやすいということで、現在でも高級絹糸を生産する養蚕家が使用しています。
藁のみの造形で、折り畳み自由で繰り返し使える機能的な蔟をここまで完成させた先人たちはホントにすごいですよね! 製作の仕方をどなたか教えてくださる人がいらしたら、是非作ってみたいと思っているまゆこです。
さてつづいては、現代養蚕家におけるスタンダードな蔟「回転蔟(かいてんまぶし)」についてまとめてみたいと思います。素材も藁ではなく、ダンボール紙でできています。
オッと、まゆこは今日も蔟について熱く語りすぎてしまったようです。やはり次回の記事にしましょう。まゆこが夢中の「蔟」について、よろしければ、「富子さんの部屋③」でもおつきあいくださいませ♪
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