フォト
無料ブログはココログ

にほんブログ村

« 中央市の先人が発明した「蔟」 | トップページ | 江戸時代の陣笠と裃が寄贈されました。 »

2014年1月25日 (土)

小麦(5)

Tomiko

春になれば、小麦はどんどんでっかくなって、株分れをして、穂も出てくるからね。緑色の小麦の穂が、風に吹かれて波打つ景色は、本当にきれいじゃんね。今でも夢に見ちもう。早くぬくとくなってくれんかなあ。

 今日は採れた小麦の使い道を話さっかね。小麦は粉にひかんと使えんから、近所に1軒だけあった精米屋さんに頼んでひいてもらうだけんど、精米屋のおじさんは、まつ毛がうんと長かったから、いつでもまつ毛に白い粉がついていてなんともいえなかったさ。精米屋さんとはいっても、うちじゃあ米は作っちゃあいんから、頼むのは麦やとうもろこしやそばばっかりだっただよ。

 小麦粉は、うどん粉って呼んでたから、主にうどんを作ってたっていうこんだね。時々はメリケン粉って呼ぶ人もいたけんどね。メリケン粉は本当は、アメリカ産の小麦粉を呼ぶ言い方で、そのころは、製粉技術もアメリカの方がよくて、上等だったらしいよ。

Dscn45972 ごんばち(こね鉢)

山梨でうどんと言えば「ほうとう」のこんだよね。あっちこっちで年寄に話を聞いても、ほうとうは毎晩作ったって言ってるしね。お父ちゃんはちっくいころ山梨で育ったし、赤んぼうのときは、「ほうとう」の汁がミルク代わりだったって言ってたけんど、お母ちゃんは横須賀育ちで「ほうとう」は食わなかったから、うちじゃあ文化的断絶があっておもしろかったね。一晩おいて汁がなくなっちゃっとうような「ほうとう」が好きというお父ちゃんだったけんど、めったに「ほうとう」を作ってはもらえなかっただよね。それに、うちじゃあ、「ほうとう」とは呼ばずに、「のしいれ」って呼んでたね。

そういうわけで、うちじゃあ、うどんと言えば、汁をつけて食ううどん、山梨でいえば「おざら」ちゅうもんを食うことが多かったね。汁にはたくさん具を入れるのが山梨方式らしいけんど、お母ちゃんはそれも自分の文化にはなかったようで、何も入れない汁が定番だったね。呼び方も口がまだよくまわらん弟が「おんどん」って言っていたから、「おざら」じゃあなくて、「うどん」て呼んでいたかもしれんね。

Dscn45942 のし板とのし棒


 「ほうとう」と同じ味噌仕立てで食う「すいとん」はよく作ったね。簡単に作れるから、飯が足りんときにはけっこう食卓にのぼった。食糧難の時は都会でよく作ったらしいよ。田舎じゃあ「ほうとう」でも「おざら」でも作れるけんど、都会の人にゃあ作れんからね。すいとんのもちもちとしたとこが好きで、いくつも入っているとうれしかったもんさ。

「うどん」も「ほうとう」も「ごん鉢(こね鉢)」、「のし板」と「のし棒」を使って作る。飯が足りんときにゃあ、おでましだ。のし板はかなり年季が入ってたねえ。ちっとたってからは、製麺機っていう便利な道具がうちにもきて、子どもも手伝ったから、お母ちゃんもずいぶん楽になったと思うよ。

Dscn45982_2 製麺機

« 中央市の先人が発明した「蔟」 | トップページ | 江戸時代の陣笠と裃が寄贈されました。 »

豊富の富子」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1875313/54740739

この記事へのトラックバック一覧です: 小麦(5):

« 中央市の先人が発明した「蔟」 | トップページ | 江戸時代の陣笠と裃が寄贈されました。 »