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2013年12月19日 (木)

ひで鉢

ただ今展示中の「農家の明かり」から、ひで鉢について書いてみました。

松の株根の脂(やに)の多い部分を「ひで」といい、灯火の素材として用いました。これを燃やす照明用具をひで鉢といいます。ひでは細かく割ったものを次々と継ぎ足しながら燃やしますが、油煙もひどく、手間のかかるものでした。ランプや電灯の普及の遅かった農山村では、昭和の初めまで使われ、東京都下でも明治の初めころまで使われていました。

Dscn4515_3 展示中のひで鉢

 脂を多く含んだ松の幹や根が明るく燃えることは古くから知られており、コエマツ・アブラマツ・ヒデ・シデなどと呼ばれ、明かりとして利用されてきました。

鉢は不要になった石の挽き臼や、砂岩や玄武岩などの自然石を掘りくぼめ加工したものを利用します。東日本一帯では高さ三十センチメートルくらいの自然石を掘りくぼめただけの簡素な造りのひで鉢が多く使われました。一方西日本では鉄板や網状で一本あるいは三本脚つきの鉄製のものが多く使われました。まれには陶製もあり、台の中央に枕が取り付けられて、ひでが燃えやすいように工夫されているものもあります。また、不要になった鉄鍋を使うこともありました。

これらは囲炉裏の片隅に置かれたり、土間に置かれたりして、夜なべ仕事の照明となりました。火の番は子どもまたは老人の仕事で、ひでの補充をします。ひでの明かりは行灯や燭台より明るさでは勝りましたが、油煙が多く出るのが難点でした。囲炉裏やひでのおかげで明かるく暖かく過ごせたのはよいのですが、そのため眼病の多かったことも事実です。

Dscn2666 石臼をリフォームしたもの?

 

ひで鉢は地方によってマツトウガイ、マツトウゲイ、マツトウダイ、マツアカシ、トウダイ、ヤロウ、ヒデザラ、マツナベなどのさまざまな名前で呼ばれました。

Dscn3665_2 脚のあるタイプ

 柳田國男が昭和19年に書いた『火の昔』という本には、大正の終わりごろ東京から遠くない山村を調査したところ、親の代から使っていたというひで鉢が壊れもせず物置の隅っこにころがっていたと書かれています。ひでは、大きな松の木を切ったあとの根株を、3年も5年もほったらかしておき、脂のない部分が腐って土になり、脂みだけが残ったのを丹念に掘り出して小さく割り、松取箱という箱へ1年中使う分を蓄えておくのだそうです。

 そんな歴史を持つひで鉢が豊富郷土資料館には4つもあります。ぜひ一度見て、ひでの番をした子どもたちに想いをはせてください。「農家の明かり」展は27日までです。

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