寄贈された「養蚕日誌」
こんにちは、まゆこです。
先日、まゆこがとても欲しかった資料が当館に寄贈されました♪
それは、旧豊富村浅利地区の養蚕家の記した養蚕日誌です。
昭和34年春蚕~平成3年9月晩秋蚕までの、実に三十年以上に及ぶ養蚕の記録でした。
掃き立てのグラム数から始まり、蚕の状態、天候、飼育場所、桑のやり繰りや品質、温度・湿度管理、飼育の反省点など、実際の養蚕に関わるさまざまな情報の詰まった一冊です。
この日誌は、昭和44年からは当時30代であったこの家のお嫁さんが引き継いで記しており、やはり養蚕は女の人が主体で頑張っていたのだなぁとわかります。
日誌によると、同じ春蚕でも、「先口」・「後口」として、一週間ずらして2回飼うということをしており、「かつての豊富では年に10回もおかいこをした」という話が現実であったことが理解できます。 春蚕・夏蚕・秋蚕・晩秋蚕・晩々秋蚕をそれぞれ2回行えば、確かに10回はできますよね\(◎o◎)/!
びっしりと書き込まれた内容には、「飼育場所が足りずに、台所にまでヤグラをたてて育てたこと」「4齢のお蚕に、気づかず果樹用の消毒のかかった『毒桑』を与えてしまい、たくさん死んでしまったこと」なども書かれています。
桑の調達に追われながら、一つ屋根の下でお蚕とともに暮らした日々の記録が、この中にありました。 そして、この地方独特の養蚕具の呼び名や飼育の工夫など興味深い内容満載のノートです。
中央市の養蚕の実態を語ることのできる人は年々少なくなってきていますので、このように養蚕家の生の声がつづられた、大事な家族の記録でもあるノートをご寄贈くださり、ほんとうに感謝しています。
大切に活用していきたいと思っています。 ありがとうございました。
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