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2013年11月17日 (日)

手回し計算機を使った人々からの証言

Img_0032jpg2 レトロな機械です

 この機械なんだかわかりますか?

 実は電卓が商品化される前に使われていた手回し計算機です。スエーデンのオドネルという人が開発し設計を公表したため、日本でも大正時代に大本寅治郎が製品化しました。

 数字をあわせ、小数点などをあわせて、ハンドルをくるくると回すと、かけ算や割り算ができます。割り算は余りも出すことができます。

Img_0033jpg2 操作する館長の先輩


 この日は使い方をすっかり忘れてしまった館長のために、職場で先輩だった方がもう一度思い出させてくれました。館長も若かりし頃、数年の間この計算機のお世話になったそうです。一人一台パソコンの現在とは大違い、各課に1台か2台しかないので、順番待ちで使うしかなく、仕事の期限に間に合わせるためには徹夜をしなければならないこともあったようです。

 この計算機は1970年頃には電卓に取って代わられ、あっという間に世の中から姿を消しました。

 そんな話を聞いたすぐ後、自分も使った懐かしい物があると声をかけてくれた方がいました。終戦の直前、立川の「中島飛行機」にいたという方です。まだ十代でしたので、技術将校や大学出の技術者の下で使い走りのようなことをしていたけれど、たまには計算尺や手回し計算機で計算の仕事をまかされることもあったそうです。

 技術者としては性能の良い飛行機を設計したいのはやまやまでしたが、そんな贅沢な飛行機は作らせてもらえず、ブリキや布で、「キ-115 剣」 という飛行機を作らされたそうです。飛行機はゼロ戦でも4トンあるのに、1トンという軽さです。リベットも細かくは打たず、2cmおきくらいに打ち、飛び立てばガタガタいっていつ壊れてもおかしくない飛行機だったそうです。しかも飛び立ったあと、車輪は落としてしまうというのです。結局実践には使われず終戦となったそうです。

 後で調べてみると、小型爆撃機として作られたらしいのですが、特攻機として名前が知られているようです。落とした車輪はまた別の機体につけて使うのだそうです。機体はアメリカの航空宇宙博物館で公開されていて、日本にもあるようですが非公開だそうです。

 こんなふうに実際に使った方の証言は大歓迎です。ぜひ資料館を訪れた際には思い出を語ってください。お話をうかがえるのを楽しみにしています。

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