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2013年11月10日 (日)

弓建嶺の石弓の姿が明らかになりました。

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昨年の12月に中央市歴史文化ボランティアの会で調査した弓建嶺の祠では、短い石棒が1本立っており、長い石棒は斜面に転がり落ちていたことは、すでに報告しましたが、最近になって、本来の姿が明らかになりました。
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かつては仲間の間で、祠の両側に門柱のように建てられていたか、本来1本の石棒が折れたのか、喧々諤々の議論となっていたのですが、ひょんなことからその問題が解決したのです。
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それは、甲斐国志編纂にかかわった内藤家所有の、大鳥居村絵図(文化4年ー1807)に描かれていたからにほかなりません。これは県指定文化財にもなっており、『甲斐国志』の編纂に携わった内藤清右衛門の子孫である内藤家の人々が、先祖代々大事に保管してきた資料の一枚です。
この図が、中央市教育委員会が発行した「文化財ガイド」にきわめて小さい写真が載っていたで、これを教育委員会に了解をいただいて拡大したところ、なんと、「弓立石」と書かれた隣に、一本の長い石が建てられているではありませんか。(写真の右上が弓建嶺です)
さっそく内藤家の現在の御当主にもお話しましたが、なお、石祠を守る大鳥居の方にも、このことをお話ししたいと思います。
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かつて江戸時代の山は、下刈りや落ち葉掃きがきれいになされ、恐らく下の集落からも、この石弓は白く輝いて見えたのではないかと思われます。今の人と違い、昔の人々の目はよかったでしょう。
ともかく、長年の疑問が氷解してとてもうれしい気持ちです。今度はこの写真を現地に設置したいものです。

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