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2013年10月31日 (木)

大正時代の特許

 こんにちは、まゆこです。

 最近のまゆこは養蚕に使われる、ある道具のことで頭がいっぱいです♪

 というのも、まゆこは春におかいこを育てた時に、おかいこさんが繭を作る場所となる蔟(まぶし)が、区画されたボール紙でつくられており、回転するように仕立ててあることを初めて知りました。 その道具の名は「回転蔟」。 

 Dscf5520中込家の回転蔟
 そして、その優れた機能美にも魅了されてしまい、誰が発明したのだろう? この道具の発祥の地はどこ? どのような経緯で日本全国の養蚕農家が使うようになったのか? 様々な疑問が同時に湧いてきました。

 そこで、発明品といえば、特許でしょ!と、昔の養蚕に関する特許を調べています。

 
 しかし調べる過程で、出るは、出るは、蔟に関する特許の珍品の数々が! あまりに面白いので、回転蔟の起源を探る旅からは脱線しますが、今回は回転蔟以前の蔟の発明品について、ほんの一部ですがご紹介させてください♪

 Dsc_1659_3


蔟発明品の数々、第63690号は蚕を部屋ごとに閉じ込めて繭をつくらせるらしい。 第64918号はあなあき紙折畳蔟製造機。 第68428号は一枚の紙に切り込みを入れ、表面に凹凸をつくるもの。 第73887号においては、もうアート作品です。

Dsc_1658


ちなみに、最初の区画蔟の登録は第637号。 第14311号はチーズみたいに穴の開いた区画蔟でシュールですなぁ。
 

 明治18年~昭和31年の間に取得された特許が記載されている「特許分類別総目録」という本を読みますと、発明された道具のうち、養蚕関連では全部で907件、そのうち蔟に関する特許だけでも255件ありました。生糸の輸出が日本の基幹産業であった時代、繭生産する全国の個々の養蚕家も技術や道具の向上にしのぎを削っていた様子がうかがえます。

Dsc_1668_2その中には、わが山梨県中央市の三町村(現玉穂地区)下河東の発明者・土橋伴三郎さんが出願したものもありました。出願は、大正十三年四月十日、その後公告され特許権者となったのは、大正十四年二月十九日のことでした。特許第六二四九七号とあります。その明細書には、「養蚕用上蔟器」とあり、発明の性質及び目的の要領、詳細な説明、図面、特許請求の範囲などが記されています。

 Dsc_1670
Dsc_1671_2第62497号「養蚕用上蔟器」下河東・土橋伴三郎さん出願 - さやにカイコを入れた受け皿を吊るし、荒縄をさやの周りに球形になるように張り巡らして繭をつくらせる場所とするようです。 この発明は数個つなげて蚕室の天井などにかけて吊るして使えるので、面積を経済的に使うことができ、使用後は受け皿を外せば、非常に小さくなって収納や運搬にも便利と書かれています。

 

 

その他にも山梨県では、現明野町の皆川要二郎さんが経木を縦横に組み合わせる区画蔟の一種で、明治三十六年に取得しています。

 実は当初、これらの戦前の特許の調べ方がうまく行かず、かなり悪戦苦闘していたのです。なにせ、発明の名称からは特許の申請者や取得年月日・内容を知ることはできないとのことだったからです(国立国会図書館リサーチ・ナビによる)。 そこで、わが中央市の玉穂生涯学習館司書のOさんに相談したところ、その高いレファレンス能力でもって、瞬く間に秋田県より、「特許分類別総目録 自明治18年8月至昭和31年12月」という本を取り寄せてくれました。そして、「この本で、あたりをつけた年別に、業種ごとに記載されている特許番号を調べ、今度は『特許電子図書館(IPDL)』にアクセスして、本で調べた特許番号を順に検索するのよ!」と教えてくれたのです。 

 まゆこはこの時、Oさんが神様となり、その背中から俄かに後光が差しているのが見えました。 マジで! ありがとうございました。これからもお世話になるつもりです。 よろしくお願いしますm(__)m

回転蔟の起源を探る旅はつづく。

 Photo
 まゆこ

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