十日夜(とおかんや)って?
こんにちは、まゆこです♪
少し曇っていましたが、17日の「十三夜」の月はみなさまご覧になれましたか?
いままで十三夜のしつらいをしていた当館の正面ウインドゥディスプレイですが、今週より「十日夜(とおかんや)」バージョンに変えています。
十日夜(とおかんや)とは、旧暦の10月10日のことで、今年は11月11日になります。
行事そのものは、現在ではほとんど行われていませんが、稲の収穫を祝い、田の神に感謝する日だとされています。 そこで、正面ウインドウに、新米を供えてみました。
中央市内の旧3町村においても、かつては大事な年中行事として行われてきたことが、それぞれの村誌、町誌の記述でわかります。 読んでみると、とても興味深い内容でしたので、ご紹介しますね!
田富町誌(昭和56年発行)には、「十一月十日、農家が秋の実りを作神に感謝し、農事で疲労した体力を回復するために新穀でもちをついて神に供え、のち食べる」
豊富村誌(平成12年発行)には、「本来は旧暦の十月十日のことだが、新暦の十一月十日に行っていた。新米で餅を搗く。また饅頭を神棚へ上げた。この晩から夜なべ仕事を始め、冬の約三か月間に一年分のわらじや草履を作り、縄をなったりするほか女性はつくろいものなど針仕事に精を出した。『とおかんやの泣き饅頭』という言葉もあった。この夜から働かなければならないつらさを言ったものである」
夜なべ仕事の照明として、囲炉裏の片隅に置かれた「ひで鉢」
玉穂町誌(平成9年発行)には、「収穫したばかりの新米で餅をつき、まず神様に供えた。下肥をもらった甲府の人たちに餅を届けた。えびす講には甲府からサンマがたくさん届いた。下肥、餅、サンマのつきあいの中で、心をひらいていった。八十歳の古老は『小五の時、からくさの風呂敷に餅を包んで、鉄道馬車で太田町でおりて深町へ届けた。鞍馬天狗の映画を見て家へ帰ったのは夜の十一時頃だった。』と往時をなつかしんでいた。十一月十日の行事で、秋の収穫を見届けた田の神さまが、山に戻って再び山の神さまになる日としての田の神送りであった。 この日は炬燵の炉びらきをした。昼のうちにわらを燃して、新しいわら灰をつくっておいた。」
居間に置かれた「火鉢(ひばち)」
旧3町村ともに、新米で餅を搗き、神に感謝するのは共通です。
が、その後は餅を食べて、田んぼ仕事が終わってやれやれとただ体を休める日だったり、これから始まる冬の夜なべ仕事のことをおもって、おまんじゅう食べながら嘆いたり、甲府のお街に届けた餅がサンマになって返ってくるのを楽しみにしたりと、昔の中央市の人たちが、悲喜こもごも十日夜という日を過ごしたことがわかります。
また、冬支度をはじめる日でもあったようですね。これから寒くなります。豊富郷土資料館の正面ウインドゥもどんどん冬仕様に変えていきますよ! 火鉢に炬燵、かいまきに夜着でしょ、それからえ~っと・・・。 これから収蔵庫の中をさがしてこよ~っと♪
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