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2013年9月 7日 (土)

浅利与一公の命日

Dsc_1364本日九月七日は弓の名手、浅利与一公の命日です。

 

 

 

 

 

 浅利氏の姓は、この地域(山梨県中央市内の豊富地区を中心に一部笛吹川右岸)に存在した浅利郷に由来しています。

 

 

源平の合戦・壇ノ浦の戦いで、弓の名手として名をはせた浅利与一公ですが、中央市にはその他にも「姥神様」「弓建嶺」などの与一公の強弓伝説を物語る史跡、「大福寺」「法久寺」「諏訪神社」「大聖院」など与一の足跡をたどることのできる寺院があります。 与一公は、今から792年前の1221年(承久3年)の9月7日になくなりました。

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 中央市豊富地区にある法久寺にある位牌によれば、逝年73才であったと記されており、逆算すると、1149年(久安5年)生まれということになります。

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 792回目の命日の今日は、豊富郷土資料館のあるシルクの里公園隣の大福寺与一公墓所において、「浅利与一義成公顕彰式典」が行われ、式典には、大福寺檀家代表の方々、山梨県中央市副市長をはじめ商工観光課・農政観光部・教育長・市議会議長等の方々が列席しました。

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 この式典は、旧豊富村時代から合併して誕生した現在の中央市に受け継がれ、連綿と続いているものです。

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開会のことばの後、献香、法要、顕彰の詞、献杯の順でとりおこなわれ、閉式しました。

 

 なかでも、副市長が代読した市長による「顕彰の詞」は「浅利与一公の遺徳は800年余りの間も、ゆかりの地である今日の中央市に受け継がれ、安寧をもたらしています。今後も与一公の放つ矢のごとく、鋭く的確な市政運営を目指しますので、ご加護くださいますように・・・・・」というようなものでした。

 

 800年余りの歳月を経てもなお、地域に愛される浅利与一公の遺徳にふれ、まゆこも大変厳かな心持ちになりました。

 

蝉の抜け殻も静かに参列Dsc_1397

Photo
 まゆこ

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