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2013年9月27日 (金)

上蔟(じょうぞく)しました!

 朝晩涼しくなり、すっかり秋めいてきましたね♪ こんにちは、まゆこです。

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 平成25年9月24日 5齢9日目・ふ化から27日目で上蔟しました。 上蔟(じょうぞく)とは、おかいこさんをまゆをつくる専用の蔟(まぶし)に入れる作業のことです。

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 体長が7㎝以上になり、桑葉を食べなくなったので、回転蔟(かいてんまぶし)に乗ってもらいました。

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 翌日、ふ化から28日目で、しっかり熟蚕(じゅくさん)となったおかいこさんがまゆをつくっています。 しかし、決断力が無くウロウロと次々部屋を覗いては、またウロウロと動き回るばかりで、なかなか気に入った部屋が見つからない様子のおかいこさんが、まだたくさんいます。

「どの部屋も条件は同じですよ! はやくその部屋に決めておしまいなさいっ!!」職員みんな、30分おきに気になってしまい・・・・・

「はやくお前ら、入って繭つくんなさい」とか、「あんまり動き回ると、繭をつくる前に疲れちゃうぞ」とか、「その部屋がいいと思うよ、ここに決めちゃいなさい」などと、叱ったり、なだめたり、はげましたり、いろいろアドバイスのつもりの声掛けをします。そして、回転蔟の区画の中におかいこさんを押し込んだりしますが、彼らはマイペースを崩すことはありません。 

 結局、カンチョー、「ぜんぜんお前ら、ゆうこときかないなぁ」だって(*_*;

 2頭で同じ部屋に頭を突っ込んで取り合いなんかしたりして・・・。人間から見ると、どの部屋も全く同じに思えるのですが、左右に小さな頭を振りながら、彼らなりにかなり吟味した後でないと、まゆをつくる気にならないようです。

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 また、おかいこさんは上へ上へとのぼる性質があるので、回転蔟は重心が変化するたびにくるんくるんと動き、上下を逆転させます。この間、おかいこさんたちはさらに悩んで、さかんに移動することになります。

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 それでも、上蔟して3日目になると、ほとんどのおかいこさんが場所を決め、まゆをつくりました。

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同じ日にふ化したおかいこさんたちですが、まだ2頭、まゆをつくる気になってくれません。

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現在、13×14=182のマス目がある蔟2つに、計155個のまゆがつくられています。

 あと、10日ほどしたら、「まゆかき」ができます。

 春蚕につづいて、晩秋蚕も無事に終了できそう。 フ~、ひと安心♪

 回転蔟にきれいにつくられた、白く輝く美しいまゆを、みなさん観に来てくださいね!

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まゆこ

2013年9月26日 (木)

見事な虹が出ました

昨日の夕方5時半頃、東の空に、大きな虹がでましたよね。
驚きました。あんなきれいな虹をみたのは久しぶりです。

本日は山日新聞にも美しい写真が載っており、負けたと思いましたが、
豊富の虹も大満足でしたよ。
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2013年9月23日 (月)

新道地区秋葉さん祭り

 9月22日、中央市の新道地区で秋葉さんのお祭りが行われました。新道地区の秋葉さんは、道祖神と並んで祀られているので、「えっ、どうして今頃道祖神祭りが?」と思いましたが、祭りの会場にいる人に話を聞いてみると、秋葉さんのお祭りでした。

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 新道地区には古くから秋葉講が結ばれていて、毎年遠州(現在の静岡県)にある秋葉さんに、2人ずつ代表でお詣りをしていたそうです。秋葉さんは、「秋葉大権現」という火災予防の神様で、中央市では玉穂地区や、豊富地区でも盛んに秋葉講が行われていたようです。

 寺や神社に常夜灯や石祠の形で残るものも多く、常夜灯の秋葉権現の力で村内の火の用心を見張ってもらっていたのでしょう。

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 新道地区の秋葉さんのお祭りは、ソーラン節が踊られたり、抽選会が行われたりして、現代的な形で行われていましたが、秋葉さんのお札は配られたようです。これから冬に向かい、火が恋しくなる季節ですから、みんなで集まって火災予防を決意する機会になったのではないでしょうか。

歴史文化講座第3回目「富士北麓への道」を開催しました。

Img_0038 平成25年9月14日(土)午後1時半より、本資料館館長末木により、「富士北麓への道」と題して、講演会がありました。
講演は甲府盆地から富士北麓へ通ずる3本の道「御坂路ー甲斐路」「若彦路」「中道往還」を地図や写真で示しながら、古代~中世の文献をもとに解説したものです。
まず、古代「御坂路」は、都から甲斐国へいたる官道で、今の御殿場付近で東海道と分かれ、山中湖周辺を通過し、忍野・富士吉田・川口を経て、御坂峠を越えて甲府盆地にあった古代の国府・国衙に至る道です。この道には、古代の駅が3か所あり、「水市駅」「河口駅」「加吉駅」と呼ばれていましたが、それぞれの駅の場所は不明です。しかし「河口駅」は最近の発掘調査で「川」と書かれた土器が出土していることから、今の河口浅間神社周辺であることは間違いありません。残りの「水市駅」「加吉駅」は研究者により場所が異なります。
Img_0040 また、河口の鯉ノ水遺跡から道路遺構が最近発掘されました。幅3メートルの道は出土土器から平安時代には使用されていた道であることが明らかになりました。これは官道「御坂路」と考えられます。
Img_0043 「若彦路」は旧来甲府盆地から河口湖の大石地域を通り、鳴沢村の冨士山麓・長尾山付近を通って、富士宮市の上井出に至る路と考えられていましたが、近年の研究で治承4年に「吾妻鏡」に書かれた「富士北麓若彦路」は、大石から精進湖の脇を通る「中道往還(神野・春田路)」をつなぐ道の可能性が高いこと。また、甲斐源氏が平家側と戦った場所は、本栖湖の南の足端峠(はしだとうげ)であることが想定されています。
「中道往還」は古代より甲斐と駿河をつなぐ重要な道で、甲斐の銚子塚古墳の存在が示すように、東海道から甲斐に入る重要な道で、近世でも魚を運ぶ道として栄えました。
このような道が富士山北麓を通っていたことは、甲斐国・山梨県にとって歴史的にも文化的にも、大変重要な意味があったことなどが話されました。

2013年9月22日 (日)

養蚕家を訪問

 こんにちは、まゆこです♪

 きょうは、山梨県中央市豊富地区の養蚕家中込さんの飼育場に見学者があるというので、まゆ子も便乗して、一緒に見せていただくことにしました。

 豊富郷土資料館で飼育しているおかいこさんは、この中込さんから分けていただいたものです。

 Dsc_1277_2昭和57年に建設した中込家の飼育場は、近代的です。作業のほとんどが機械化され、ボタン一つでいろいろなことができます。4段もある飼育かごは、ベルトコンベアーで回転し、人間の立ち位置を変えずに、ラクラク給桑できるようになっています。

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 ひとつひとつの飼育かごの底はパカッと2つに割れて開く仕組みになっており、ボタン一つで飼育かご内の清掃ができるようにもなっています。

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 見学者に、まゆをつくらせる装置(回転マブシ)の設置方法を説明してくださる中込さん。

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 見学者の、「どうして83歳になった今も、一人で養蚕を続けているのですか?」という質問に、

中込さんいわく、「昭和の終わりに、安く大量に輸入されはじめた中国産のまゆに押され、どんどんまわりの衆は養蚕をやめてしまった。 自分は中国のまゆに対抗するためには何が必要かと考えた結果、いち早く機械導入をし、作業の省力化をしたおかげで、いまこの年になっても一人で養蚕を続けることができている。山梨では、養蚕をやめてブドウやモモなどの果樹に転換した人が多いが、消毒代や袋かけの材料費や手間などが大変だし、天候にもかなり左右される。その点、機械化された養蚕は、人件費は抑えられるし、まゆの販売先は吉田の組合(山梨県郡内地方で甲斐絹を生産している)に決まっているので、損がない。 なんで皆、やめちゃったんだろうなぁ。 豊富では700軒もの養蚕農家があって、16億の利益を上げていた時があっただよ・・・・・」

 ここで、もと養蚕組合長であったという中込さんの語り口は、淋しいトーンに。

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 かつてブランド繭といわれ、品質の優れた豊富の繭を生産してきたという意地と誇りが、養蚕を続ける中込さんの原動力なのでしょうか? 合併して中央市となる前の旧豊富村は、昭和34年~昭和56年の22年間、全国の市町村で繭の生産量が最多でした。 

 現在(平成24年度大日本蚕糸会調査)、山梨県の養蚕農家戸数は、24軒です。そのうち、豊富郷土資料館が把握している中央市の養蚕農家は2軒1軒です(平成25年9月26日現在調べ)。 中込さんによると、平成5,6年くらいに急激に養蚕農家は減ったそうです。

 いま、山梨県中央市では、養蚕の最後の最期のともし火が、この83歳の中込さんによって守られています。

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飼育場隣は、桑の栽培畑です。もちろん品種は、山梨発祥の「一ノ瀬」です。

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まゆこ

2013年9月19日 (木)

デイサービスからの見学者増えてます。

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 中央市の社会福祉協議会の団体や、デイサービスさくらんぼのみなさん、福栄荘のみなさんなど最近高齢者の方の団体での見学が増えています。

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 資料館に展示してあるものは、高齢者の方々にとっては懐かしいものばかり。展示品にまつわる思い出話で盛り上がります。また職員が知らない話を聞かせてもらったり、使い方を教えてもらったりすることもあって、大変ありがたく思っています。

  豊富郷土資料館は、スロープ・エレベーター・多目的トイレ・車いす(2台)などがあり、高齢者の方にも見学しやすくなっています。また、展示物の前に座ってゆっくり語らいたいという要望に応えて、ソファやベンチを展示室にも設けました。もちろん65歳以上は無料ですから料金の心配も必要ありません。また、団体の引率をする方も無料ですので、お気軽にお越しください。お待ちしております。

 

 




5齢になりました!

こんにちは、まゆこです♪

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5齢1日目・ふ化から19日目(体長4.5㎝) 「眠」から覚め、脱皮したての蚕体に、パフソールという白い粉末の薬剤を茶こしでふりかけ、消毒しました。

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さあ、5齢になってはじめての給桑です。 脱皮して口も大きくなったおかいこさんたち。 葉っぱの真ん中からも、どんどん齧って食べていきます。

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「胸脚」とよばれる前のほうの足で、ガシッと葉をつかんで、モシャモシャ食べます。 たくましくなりました。

本日、山梨は台風による大風雨ですが、おかいこさんたちにはそんなの関係ありません。ガシガシ、モシャモシャとすごい勢いで食し、「新鮮な桑をもっと採ってらっしゃい!!」と急き立てているようです。

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5齢3日目・ふ化から21日目(体長5.5㎝、大きいのは6cm近くあります)

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2つの箱に分け、拡座しました。

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さっそく、デイサービスからの来館者様にかわいがっていただきました。

「撫でると冷たくて、サラサラして、気持ちいいだよね」

「かわいいじゃんね。噛みつきもしないし、逃げんし、おかいこさんってゆうのは、何にもできんから、うんとよく世話してやらんと生きれんだよね」

「今日やってる桑は、「魯桑(ろそう)」だね、昔ウチは「一ノ瀬(いちのせ)」しかやらんかったよ」

こちらのグループの方々は、先週も来館してくださっているので、おかいこさんの成長ぶりに「大きくなったじゃん!」「かわい~ねぇ~」と、とてもうれしそう。 おかいこさんのあまりの人気ぶりに、施設の方からの申し出があり、2頭のおかいこさんが、みなさんの通われているデイサービスの施設に引き取られていきました。

おかいこを知らない若い介護士さんたちに、「この模様は目じゃないんだよ、目はこんなちっちゃな頭のここにあるんだよ」とか、資料館2階の養蚕道具の使い方を詳しく教えてあげていました。

施設に帰っても、お引越しした2頭のおかいこさんを囲んで、お年寄りたちのにぎやかに会話が弾む様子が目に浮かぶようです。 きっと大事にしてもらえるよ! 美しいまゆをつくって見せてあげてね♪

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まゆこ

2013年9月13日 (金)

今日のおかいこさん(4齢3・4日目)

こんにちは、まゆこです。

おかいこさんは元気です!

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4齢3日目・ふ化から14日目(体長3.5㎝) 体色がかなり白くなりました。

指でおかいこさんの背中をナデナデすると、ちょっとひんやり。そして、そのなめらかな感触に、自分の指も何だかスベスベになったように感じます。 癒される~♪まさに、『おかいこヒーリング』!

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4齢4日目・ふ化から15日目(体長4㎝) 一日に、5ミリ大きくなっています。

朝と夕に給桑すると、待ってましたとばかりに、新しい桑葉に上ってモリモリ食べています。

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珍入者発見!? 採ってきた桑の葉にいたようです。これはもしや、通称「のらぼこさん(野良のおかいこさん)」ですか? 何の幼虫でしょうか?

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飼育箱が混み合ってきました。そろそろおかいこさんが重ならないように、拡座(かくざ)しなくてはなりませんね。

 

ここで本日の給桑とコシリトリの様子をお伝えします。

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まず、おかいこさんの上に、蚕網(かいこあみ)をかぶせます。

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その上に、枝付きの桑の葉を置きます。

 おかいこさんは新鮮な桑の葉を求めて、網の目をくぐって網の上へ這い登ってきます。大体のおかいこさんが上がった頃に、網ごと持ち上げて、糞(こしり)や食べ残しの桑葉をとりのぞきます。 おかいこさんを一頭づつ拾わなくても、この蚕網のおかげで、とても効率的に飼育箱の清掃ができるのです。ねっ、簡単でしょ! 「蚕網ってホントに便利!」とつくづく実感します♪

 あと1日で、おかいこさんたちは最後の「眠」に入る予定です。その後、脱皮していよいよ5齢。 ますますたくさんの桑葉が必要になります。 白く輝く、可愛いおかいこさんの幼虫がみられるのは、あと10日ほどです。

 みなさん、観に来てくださいね!

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まゆこ

2013年9月12日 (木)

だんご突き棒

こんにちは、まゆこです。

「だんご突き棒」とは、子供たちが縁側に供えてある十五夜のお月見団子や果物、お菓子を盗むための棒のことです。

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家の中の人に見つからないよう、物陰や垣根の隙からそっと差し入れて使います。

「十五夜だんごは盗まれるほど縁起がいい」といわれ、縁側の供物が無くなったのは、神様がこの家の作物を気に入ってくださった証拠として歓迎されました。

「子は七つまでは神のうち」ともいわれており、だんごを盗みに来る子供たちは神様として演出するためにも、姿を見られないように一生懸命頑張り、また見つかってはならない任務に、たいへんなスリルを味わうのでした。

館長は昔やったそうです!(もちろん子供の頃)

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 正面玄関ウインドゥに館長作「だんご突き棒」が展示されています。付けてある五寸釘のうち、真っ直ぐなものはだんごを突き刺すために、曲げてあるのは供物のぶどうをひっかけるのに大変便利であったそう。

 館長に「本物のだんご突き棒を製作してくださいますでしょうか?」と、丁寧にお願いしたら、ちょちょちょいっと、すぐに作ってくれました。昨日のことのように、十五夜のだんご突き体験を話す館長の顔は、少年のようでした。とても楽しく懐かしい思い出のようでした。

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 ことし平成25年の十五夜は9月19日です。この日付は、旧暦の8月15日がもともと十五夜と呼ばれていましたので、新暦でいうと今年は9月19日になります。そして、なんと今年はこの日、満月になるそうです。(十五夜は必ずしも満月ではないのです♪)

 十五夜に出る月は「中秋の名月」と呼ばれますが、次に満月と十五夜がぴったり合うのは、8年後の2021年だそうです。 最近決まった東京オリンピック開催の翌年なんですね。

 かつて、子どもたちがこぞって「だんご突き」に興じたのは、十五夜のみで、十三夜にはしなかったそう。 現在の中央市ではもう見られない風習ですが、豊富村誌や玉穂町誌には、ちゃんと記述されていますよ。

 満月を拝める今年の十五夜では、お月見のお供えが急に無くなってもびっくりしないでくださいね。 まゆこも「神様がいらしたのねぇ」とおおらかに応じていた昔の人々に倣って、中秋の名月を風流に愛でたいとおもいます。

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2013年9月11日 (水)

4齢のおかいこさんと小学生の見学

こんにちは、まゆこです。

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 4齢1日目・(ふ化から12日目) 体長2.6㎝ 「眠(みん)」から覚め、脱皮した後のおかいこさんです。

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 4齢2日目・(ふ化から13日目) 体長3㎝  大きくなるスピードが加速してきました。

 桑の葉は、秋のものは春よりどうしても硬いので、食べにくそうに見えるのですが、おかいこさんたちは、なるべく柔らかい葉を探すように移動して、ガシガシと食らいついています。

 

 そして今日は、櫛形西小学校1年生20名のみなさんが社会科見学に来てくださいました。 一学期におかいこさんを100頭飼育したそうで、とても熱心に2階の「養蚕資料」を見学してくれました。 

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 また、1階の「昔のくらし」の解説も興味深く聴いてくれました。自由時間には囲炉裏の間に入って、水道がなく天秤棒で水を運んだり、薪でご飯を炊いて食べる生活を、まるでおままごとでもするかのように楽しそうに再現しながら、疑問に思ったことをすぐ職員に質問していました。「囲炉裏の上についている自在鉤のかざりに魚が多いのは、どうしてか?」など、なかなか鋭い質問でした。

 

 その他のグループは、エントランスホールにある昔のおもちゃなどで、面白く体験できたようで、帰る時にはみな、「また来るよ!」「楽しかった!」と、いきいきとした笑顔でした。 私たち職員も、「また会おうね!」とうれしい気持ちでお見送りしました。

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 まゆこ

2013年9月10日 (火)

ワタの話(5)

Tomiko 富子だよ。涼しくなって、ようやっと夜寝れるようになったじゃんね。朝方なんか寒いくれえだよね。秋蚕を始めたからまた忙しくなっちまっとうさ。

Dscn37542  収穫を待つワタの実

 ワタの実がいくつもほけたから、ワタ摘みをしとうさ。殻がなんこかの部屋に分かれてーて、ミカンの房のようのワタの実が入っているだよ。そうっと引っ張れば、ちっと伸びとうようになって抜けてくるさ。白くてふわふわしたワタの実の中に種が4~5粒入っているようだね。全部収穫したら種取りをしっかと思ってるけんどね。

Dscf54342 引っ張ると抜けてくる


 今日はまだほけたワタが少ないけんど、これっからほける実も多いから、どのくれえとれるか楽しみじゃんね。

Dscf54392 今日の収穫


 ワタの栽培はメキシコが一番古くて、インドがその後らしいだよね。おもしれえこんに、ヨーロッパ人がワタのことを知るのは、あんまり古い話じゃないだって。北ヨーロッパじゃ14世紀になってっから木綿がへえってきて、それが植物だっちゅうもんだから、「インドにゃあ、枝の先にめんよう(羊)がなるすごい木が生えているっちゅうよ。」と驚いただってよ。

 

歴史文化講座第2回目を開催しました

Img_0034_2 富士講研究者の堀内眞さんをお招きして、甲府盆地と富士講についてお話を伺いました。中世以前の古い時代は、修験者や一部の道者と呼ばれる人々が富士山に登っ他のですが、、近世には江戸からのたくさんの人々が登るようになりました。

中世から近世前半は、西日本の人々は東山道を通り、甲府盆地から富士山に登りましたが、道は主として御坂道で、川口浅間神社をお参りし、川口の御師宅に宿泊して富士登山をしました。
近世の江戸時代後半には吉田口からの登拝が主流になったことなどの説明があり、富士講の『富士真景図之図』という昔の本を使い、講の人々の姿を細かに説明してImg_0037 いただきました。
講演後には、たくさんの質問があり、世界遺産となった富士山への興味が皆さん非常に高い様子がわかりました。

次回は9月14日(土)午後1時半から『富士北麓への道』と題して、資料館の末木が講演します。ぜひお出かけください。

2013年9月 8日 (日)

角真綿づくりに挑戦①

こんにちは、まゆこです♪

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 角真綿づくりに挑戦しました!

 

 まず、真綿とは、おかいこさんのまゆからつくったシルク100%の綿のことです。真綿には、角真綿と袋真綿があり、まゆを煮て伸ばす際に、角型に成形して乾燥させたものが角真綿、袋状に乾燥させたものを袋真綿というそうです。

 

 今回は、角真綿に挑戦です。 4個のまゆを使い、伸ばして拡げて重ね、一枚の角真綿になります。

 

 事前準備として、まゆは1時間水に浸した後、1リットルの湯を沸かした中に重曹4グラムを入れ、そのなかにまゆを投入し、1時間とろ火で煮てあります。そして、きれいな水で煮たまゆをよくすすぎ、重曹とさなぎから出た油分をよく落とします。

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 さて、下準備のできたまゆが水に浮かんでいます。

 

 まずは、

 

 ① まゆの層の一番薄くなっているところを探して、破きます。

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 ② 破いたまゆを、左手の親指以外の4本の指を使って、外側から内側へと押し拡げながらひっくり返し、中に入っているさなぎと抜け殻を取り除きます。

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 ③ ムラが出ないように、なるべく均一にひっぱり拡げながら、上から下へと木枠にかけていきます。

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 ④ 4個分のまゆを木枠にひっかけました。

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 ⑤ 木枠から4枚まとめてはずし、折りたたんでまたすすぎ、拡げた状態で、裏返したざるにのばして乾かします。

 

 ⑥ 完全に乾燥して完成です。

 まるで、角真綿づくりに熟練したもののように、手順を語ってしまいましたが、実は、大手無料動画サイトの映像を何度も繰り返し見て、イメージトレーニングを重ねた末に実行しました。 まゆをひっかける木枠も、動画で見たものを参考にし、工作の得意な職員がまゆこのわがままなクレームに耐えながら、作ってくれました。(Mさんに感謝♡)

 

 まゆを煮る加減(火加減)がわからず心配しましたが、初めてにしては破れずに、まあまあうまくいったのではないでしょうか? 次回はまゆを煮る火を強くしてみて、もっとムラなく木枠に拡げられるように、技術向上させていきたいと思います。

 

(ところで、この真綿をひっかける木枠は、何という名の道具なのでしょうか? わかりません。来館されたお客様に聞き取り調査していますが、今のところ不明です)

 

 真綿は、お蚕が作るまゆを切らずにそのまま引き伸ばしたものなので、毛羽立ちがなく、ふんわりやわらかくて、とても暖かいのだそうです。織物ではないけれど、一枚の上質な布のようです。 かつては、はんてん・夜着・ちゃんちゃんこ・布団などに使われ、冬の防寒に欠かせない素材でした。

 

 来館されたお客様に伺うと、「おばあさんが家で角真綿を作っていたのを興味深く見たおぼえがある」「布団をつくる手伝いをしたときに、二人一組になって角真綿の四隅を持ち、いっきにひろげ伸ばした記憶がある」「真綿っちゅうのは、すごい伸びるだよね」など素材としての面白さが多く語られます。

 

 できあがった角真綿は、ハンカチくらいの大きさです。おかいこの吐く糸は断面が三角形で、顔などをぬぐうと、汚れをよく落としてくれるということもあるようです。

 

 おかいこさんは、昔から私たちに様々なすばらしい恵みを与えてくれているのですね!

 今日のお蚕さん

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 3齢・3日目・ふ化から10日目(体長2㎝)

 

「あなたたちのまゆで、真綿をつくらせてほしいです。たくさん食べて、元気に育ってください。よろしくおねがいします」

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 まゆこ

2013年9月 7日 (土)

浅利与一公の命日

Dsc_1364本日九月七日は弓の名手、浅利与一公の命日です。

 

 

 

 

 

 浅利氏の姓は、この地域(山梨県中央市内の豊富地区を中心に一部笛吹川右岸)に存在した浅利郷に由来しています。

 

 

源平の合戦・壇ノ浦の戦いで、弓の名手として名をはせた浅利与一公ですが、中央市にはその他にも「姥神様」「弓建嶺」などの与一公の強弓伝説を物語る史跡、「大福寺」「法久寺」「諏訪神社」「大聖院」など与一の足跡をたどることのできる寺院があります。 与一公は、今から792年前の1221年(承久3年)の9月7日になくなりました。

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 中央市豊富地区にある法久寺にある位牌によれば、逝年73才であったと記されており、逆算すると、1149年(久安5年)生まれということになります。

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 792回目の命日の今日は、豊富郷土資料館のあるシルクの里公園隣の大福寺与一公墓所において、「浅利与一義成公顕彰式典」が行われ、式典には、大福寺檀家代表の方々、山梨県中央市副市長をはじめ商工観光課・農政観光部・教育長・市議会議長等の方々が列席しました。

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 この式典は、旧豊富村時代から合併して誕生した現在の中央市に受け継がれ、連綿と続いているものです。

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開会のことばの後、献香、法要、顕彰の詞、献杯の順でとりおこなわれ、閉式しました。

 

 なかでも、副市長が代読した市長による「顕彰の詞」は「浅利与一公の遺徳は800年余りの間も、ゆかりの地である今日の中央市に受け継がれ、安寧をもたらしています。今後も与一公の放つ矢のごとく、鋭く的確な市政運営を目指しますので、ご加護くださいますように・・・・・」というようなものでした。

 

 800年余りの歳月を経てもなお、地域に愛される浅利与一公の遺徳にふれ、まゆこも大変厳かな心持ちになりました。

 

蝉の抜け殻も静かに参列Dsc_1397

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 まゆこ

2013年9月 6日 (金)

晩秋蚕がやってきた!

 こんにちは、まゆこです♪

 本日、稚蚕所から晩秋蚕(3齢1日目)が、中央市豊富地区の養蚕家中込さんに届きました。 豊富郷土資料館では展示飼育用に、さっそく分けてもらいに行ってきました。 

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 飼育小屋で届いたばかりのおかいこさんを前に、まゆこの到着を待っていてくれた中込さんです。御年83歳の中込さん。とてもお若くて頭脳明晰。今後の飼育日程や給桑計画や給桑量などを質問すれば、すぐ的確に教えてくれます。

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 体長1㎝ほどで、まだ体の色は黒ずんでいます。

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 晩秋蚕に与える桑の調達計画を話してくれています。 今年の夏は猛暑で雨が少なかった山梨です。桑が枯れないようにするのに苦労したそうです。 中込さんの桑畑は豊富各所のほか、玉穂地区にもあり、最初の「桑くれ」は水田に囲まれたところにある玉穂地区の畑のものをやるそうです。一番「やっこい(やわらかい)」葉に育っているからだとのことです。

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 「晩秋蚕飼育標準表」は稚蚕所からお蚕とともに配られます。この表を目安に飼育するそうです。

 さあ、資料館エントランスホールでは、今日からおかいこさんも皆様を歓迎いたしております。 今月末には、上蔟(まゆをつくりはじめる)してしまいますよ。ぐんぐんぐんぐん大っきくなるおかいこさんを、みなさんお見逃しなく!!

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 さっそく、来館された市川三郷町のデイサービス「さくらんぼ」のみなさんが、大盛り上がりでおかいこさん談議に花を咲かせていらっしゃいました♪

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2013年9月 5日 (木)

ワタの話(4)

Tomiko 富子だけんど、やっとちっと涼しくなったじゃんね。ほんだけんど竜巻なんちゅう恐ろしいもんが来たり、雨がやたら降ったり、おっかねえこんどう。

資料館のワタが一個だけほけたよ。見てやってくりょう。

Dscn37232 殻が割れて白い綿が顔を出した

 「綿」っていえばと言えば一番先に思い浮かぶのが、布団じゃんね。近頃はポリエステルなんていうしゃれた名前の合成綿や、水鳥の羽毛が布団の詰め物になってるけんどね。「綿」には、ワタからとれた綿(コットン)のほかに、キワタの種子からとれたツリーコットンや、カポックの果実からとれたパンヤ、麻繊維からできた麻綿、羊毛繊維からできた羊毛綿、ほいから最高級品の絹繊維からできた真綿なんかがあるだってよ。綿にもいろいろあるだねえ。

 

布団ていうのはもともとは、敷布団のことをいって、なんとまあ、ござや畳(むしろをかさねたもの)をしいたもののことだっただって。掛布団は「ふすま」と呼んで、これもなんとまあ、昼間着ていたものをかけるだけだってよ。

 

安土桃山時代くれえになると、やっと綿が登場して、綿の入った厚めの着物をかけるようになるだって。「夜着」っちゅって、今でも布団屋さんで売っている「かいまき」に似てるだよね。資料館にも一枚夜着があるから、後で写真をのせるじゃんね。デカすぎて写真を撮るのも容易じゃねえだよ。

 

江戸時代の終わりっころになると、今のように襟や袖のついちゃあいん長方形の夜着が作られるけんど、聞いてくりょう。このころになっても綿の入った布団というのは、ものすごいぜいたく品でなあ。明治になってもよっぽどのうちじゃねえと使えなかっとうだと。ほんじゃあ普通のうちじゃどうしてたかっちゅうと、こも・むしろ・夜ぶすま(草などを詰めたもの)を使っていとうだってよ。農村じゃあ、かますを使ったり、漁村じゃあ海藻を麻袋に詰めたり、山村じゃあ、シナの木の皮や藤、苧ぐそを詰めたりしただとよ。町でも紙のふすまを使ってただって。

 

『北越雪譜』という本に出てくる、新潟県と長野県の境にある秋山郷じゃあ、昭和30年ごろに土座住まい(床板を貼らないすまい)を残している家もあったっちゅうから、土の床にむしろを何枚も敷き重ねて、その中にもぐって寝るというのはこの辺でもあったかもしれんね。



2013年9月 4日 (水)

クロスワードパズル

まゆこです、こんにちは。

 豊富郷土資料館では、小学生・中学生のみなさんにより楽しく館内を見学していただくために、館内ウォークラリーと称して、いままで様々なクイズを作成してきました。

 本年も、昨年度のクイズ形式を踏襲した2013バージョンが作成されておりますが、今回新たに、クロスワード的?!なクイズを考えてみました♪

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 カンチョー 「クロスワードパズルって正方形のマス目を埋めるんだよね?」

 まゆこ 「本当は四角くしたかったんですけど・・・、まゆこの頭脳では不可能です!!」

 カンチョー 「あっ、そう。(予想通りの完成度にあっさりOK?)」

 さっそくヘビーリピーターの地元の豊富小学校3年生たちに解いてもらったところ、「簡単じゃぁ~ん」と言われてしまいました。

 まゆこ 「へ~、そうなんだ」と(やや難問)とレベル設定したことを後悔していました。

 そして次に、ちょうど当館の歴史文化ボランティアの会のみなさんがいらしたので挑戦してもらいましたら、「難し~よ、なんとなくモノはわかるけど、名前がでてこんっちゅわけ。展示資料から探して答えるにゃぁ、時間かかるじゃんね」と言われました。

 まゆこ 「えっ?! 地元小学生は10分もかからなかったですけど・・・」(言えな~い)

 ここではっきりと、地元中央市豊富地区小学生の「昔の道具知識力」が極めて高いことが判明いたしました!!

 彼らはこのクロスワードパズルの答えを、ヒントである館内資料を見なくとも、スラスラ解いてしまうのです。恐るべし豊富小学生パワー!たいへんうれしいです♪

 郷土資料館に親しんでくれている証拠ですよね。気軽に遊びに来てくれているうちに自然と昔の道具に関する知識が身についていたのですね。彼らは3年生になって7月のはじめに学校から社会科見学で来てくれたのですが、その後、何度か友達同士で連れだって来館してくれます。

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 ときには、ナイトミュージアムという企画で、幽霊のふりした職員がおどかそうとしたのに、あっさり「あ~なんだ、○○さんじゃん」とばれてしまうことも。

 しかし、スタッフ一同、見知った顔が来てくれる度にうれしくて、何度来ても彼らが楽しめるように工夫していきたいと考えています。 また来てね!楽しみに待ってるよ!

 お父さんお母さん達もぜひ、お子さんたちと一緒にクロスワードパズルに挑戦してみてください。びっくりするくらい昔の道具の名前や使い方を知っているお子さんの成長に驚かれることでしょう。親子で過ごす豊富郷土資料館でのひとときをきっと楽しんでいただけると思います♪

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まゆこ

2013年9月 3日 (火)

菊づくし

おはようございます、まゆこです♪

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 九月九日は菊の節句(重陽の節句)です。もともとは宮中行事でしたが、江戸時代には五節句(七草・桃・端午・七夕・重陽)の一つとして定められ、菊のお祭りとして盛んに行われていたようです。

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 「菊被綿(きくのきせわた)」 

 また、重陽の節句の前日の九月八日の夜、菊に真綿をかぶせたものを屋外に置き、菊の香りと露を真綿に移します。そして、翌朝重陽の日に、その菊花かおる真綿を取って肌をぬぐい、長寿を願う風習がありました。 祝いの盃には菊花を浮かべて・・・・・。

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 菊の節句にちなんで、豊富郷土資料館展示資料の一部ですが、菊づくしをご堪能ください。

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茶碗の蓋に菊づくし。

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秋一色の反物。

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 菊園芸や菊人形など菊花に誘われるこの時期、ゆったりと菊のモチーフを探しながら、豊富郷土資料館をお楽しみください。

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 かわいらしい菊、豪華な菊、さまざまな表情を持った菊花が来館されるみなさまをお待ちしております。

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まゆこ

2013年9月 1日 (日)

第1回歴史文化講座開催

Img_0083 8月31日午後1時半から、山梨県立大学特任教授の輿水達司先生をお招きして「富士山の地質の歴史」について、90分ほど講演をしていただき、熱心な質疑が行われました。
輿水先生は、富士山の出現が、単純に富士山だけで火山として成立したのではなく、大陸側にあるユーラシアプレート・北米プレートの下に、海洋プレートである太平洋プレートやフィリピン海プレートが潜り込む過程で、4つのプレートがぶつかり合う場所に富士山が出現したことから、極めて特異な火山であるという説明がありました。
しかも富士山の下には小御岳火山、古冨士火山が積み重なり、最後に1万年ほどの間に新Img_0085 富士山が形成されて、今日の姿になったものの、山体崩壊や新たな噴火により、現在の美しい姿が将来にわたって残されていく可能性は低いことなども説明されました。
また、富士五湖は富士山の地下水によって、湖が形成されているのではなく、周囲の山や富士山ろくの表流水があつまったもので、富士山の地下水と比べ、湖水のバナジウムの含有量が異なることがその証拠だそうです。
富士山の将来の噴火の時期は不明ながらも、巨大地震と連動する可能性もあることや、次の噴火が爆発タイプか溶岩流タイプか想定は難しく、対応がそれぞれ違うことや、フィリピン海プレートの上にある海底火Img_0084 山が太平洋プレートや北米プレートと擦れあうことで、富士山東部の低周波地震が頻発している点も指摘されています。

 講演の後に参加者より質問があり、30年前の地質学の常識が、今の時代ではほぼ新しい成果に置き換わり、高校の教科書などでも、日本列島の地質の歴史はプレート運動を抜きにして語れないことがわかりました。

輿水先生にお礼の拍手をして、3時過ぎに解散となりました。

来週の9月8日(日曜日)は堀内眞先生により「甲府盆地と富士信仰」というテーマでお話をいただきます。ぜひ皆様ご参加ください。

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