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2013年9月23日 (月)

歴史文化講座第3回目「富士北麓への道」を開催しました。

Img_0038 平成25年9月14日(土)午後1時半より、本資料館館長末木により、「富士北麓への道」と題して、講演会がありました。
講演は甲府盆地から富士北麓へ通ずる3本の道「御坂路ー甲斐路」「若彦路」「中道往還」を地図や写真で示しながら、古代~中世の文献をもとに解説したものです。
まず、古代「御坂路」は、都から甲斐国へいたる官道で、今の御殿場付近で東海道と分かれ、山中湖周辺を通過し、忍野・富士吉田・川口を経て、御坂峠を越えて甲府盆地にあった古代の国府・国衙に至る道です。この道には、古代の駅が3か所あり、「水市駅」「河口駅」「加吉駅」と呼ばれていましたが、それぞれの駅の場所は不明です。しかし「河口駅」は最近の発掘調査で「川」と書かれた土器が出土していることから、今の河口浅間神社周辺であることは間違いありません。残りの「水市駅」「加吉駅」は研究者により場所が異なります。
Img_0040 また、河口の鯉ノ水遺跡から道路遺構が最近発掘されました。幅3メートルの道は出土土器から平安時代には使用されていた道であることが明らかになりました。これは官道「御坂路」と考えられます。
Img_0043 「若彦路」は旧来甲府盆地から河口湖の大石地域を通り、鳴沢村の冨士山麓・長尾山付近を通って、富士宮市の上井出に至る路と考えられていましたが、近年の研究で治承4年に「吾妻鏡」に書かれた「富士北麓若彦路」は、大石から精進湖の脇を通る「中道往還(神野・春田路)」をつなぐ道の可能性が高いこと。また、甲斐源氏が平家側と戦った場所は、本栖湖の南の足端峠(はしだとうげ)であることが想定されています。
「中道往還」は古代より甲斐と駿河をつなぐ重要な道で、甲斐の銚子塚古墳の存在が示すように、東海道から甲斐に入る重要な道で、近世でも魚を運ぶ道として栄えました。
このような道が富士山北麓を通っていたことは、甲斐国・山梨県にとって歴史的にも文化的にも、大変重要な意味があったことなどが話されました。

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