ワタの話(3)
富子だよ。毎日暑くてかなわんじゃんね。雨も降らんし、困るよう。
資料館の前のワタは、負けずと実がデカくなって固くなってきたよ。大したもんじゃんね。
8月22日のワタ
またちっと勉強したこんがあるから、話をするじゃん。
日本人が木綿ちゅうもんに初めてお目にかかったのは、鎌倉時代だってよ。中国や朝鮮からの珍しい舶来もんだっただって。中国で木綿が盛んに植えられるのは、明の時代の初めっころで、ちっと遅れて朝鮮でも植えるようになったけんど、日本じゃあ、それっから100年もたってから植えるようになっとうだと。
明では木綿は兵隊に冬服として配給したり、兵隊の使う馬を買う時の代金にしたり、兵隊の給料にしたりしていたらしいさね。日本でも応仁の乱ていう戦争の時代、兵隊の着るものとしてこれ以上のもんはないっちゅうこんで、みんなが木綿を何とか手に入れたかったようだよ。銅や鉄を売って木綿を買おうとして、大勢が押しかけたもんだから、朝鮮からは輸出にストップがかかるくらいだったと。
そこで日本でも全国各地で植えるようになって、山梨でも穴山信君の家臣が木綿で給料を受け取ったことがわかる文書や、木綿の移出禁止を命じた浅野氏の文書から、木綿が植えられてたっていうこんがわかるだよね。
戦国大名が移出を禁止するほどでえじ(大事)にしてた木綿は、中国と同じように、兵隊の服や旗・幟・陣幕なんかに使われたさ。そればっかじゃなくて火縄銃の火縄、水軍用の帆布なんかの、最先端兵器に使われたってこんさね。早い話が、木綿は軍需物資だったってわけさ。
ほんだから木綿が庶民の日常着になるのはそれよりか後のこんさ。それまでは、みんなアサとかカラムシとかの服しか着れなかっただよね。
資料館にあるクワの皮をむく道具。クワからも繊維がとれる。
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