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2013年8月 1日 (木)

ワタの話(2)

Tomiko 富子だけんど、元気だったけ。

 資料館の玄関のワタに花が咲いたさ。クリーム色っぽい白の花で、きれいだよ。10日くらいたつとかたい緑色の実になるだよね。中がえんで白い綿がでてくるのももうちっとだね。

Dscn35431_2 ワタの花、しぼむとピンク色になる

Dscn36361_2 ワタの実、花が咲いた後につく


 玉穂町誌(現在中央市)にゃあ、昔どんだけワタが作られてたか書いてあるから見てみるけ?

 成島村  宝永2年(1705) 諸色明細帳

   「畑には、麦・木綿・たばこ・菜・大根が作られた。」

 木綿やたばこなどは、特殊農作物といわれる。加工原料作物として商品化の程度が高い工芸作物のことだ。

 上三条村 享保9年(1724) 諸色明細帳

   「畑には木綿少々、たばこ少々作った。」

 下河東村 寛延4年(1751) 差出明細帳

   「畑には木綿を作っている。雑穀は一切作っていない。」

  成島村  天保7年(1836) 家業日記

   「木綿下地、木綿蒔き、木綿おろぬき、木綿取り」などの記事がある。 

 

 木綿は初期には畑に作ったが、、後には水田に畝(高い部分)を作って、高い部分に木綿を植え、低い部分には稲を植えた。つまり1枚の水田に木綿と稲を同時に植えてあるということになる。また、水田に稲を植えず、木綿だけを植えることもあった。木綿を水田に植えることを申請した書類もある。

  上三条村 元治元年(1846) 小前書上帳

   「若宮  中田(水田の等級) 7畝25歩

   上河原 下田           3畝15歩」 など

 水田への木綿の作付申請を、合計8反6畝24歩市川代官所に提出している。今でいえば8609㎡なので、1ha足らずの面積に過ぎないが、水田に木綿を植えていたことがわかる。

 

 安政4年(1857)に下河東から石和代官所に提出した文書によると、1年で木綿を2400kg出荷して販売価格が37両2分(現在の500万円くらい)だった。換金源の少ない農民にとって木綿栽培は貴重な収入源だった。

 て、いうこんで難しい話をしちゃったけんど、こういう証拠がいろいろと残っているのは面白いじゃんね。

 

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