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2013年7月14日 (日)

ワタの話(1)

Dscn33521 富子だよ。久しぶりじゃんね。

 豊富郷土資料館には、養蚕の道具はたいへんあるさね。ほんだけんど、中央市でいえば、玉穂地区や田富地区は、昔はワタ作りも盛んにやってただよ。

 

『甲斐国志』っていう本にゃ、木棉の産地は 巨摩・山梨・中郡筋で、特に奈胡庄(なごのしょう、旧甲西町・旧田富町)が名産地って書いてあるだってさ。

 知ってるけ? 「綿(めん)」ていうのは本当は「真綿(まわた)」のことだってよ。「緜(めん)」とか「糸綿(いとめん)」とも言うだって。ワタは植物繊維だから木偏のつく「棉(めん)」の字を使うだって。日本語は難しいじゃんね。江戸時代の初めころ木綿が服の材料に使われるようになってから、区別をするために「真綿」とか「木綿」とか呼び分けるようになっただってさ。

 最近は、種を取ってない棉花を「棉」て言って、種を取ったのを「綿」ちゅうらしいよ。

 土屋靖麿さんは、『アゼ道をゆく』っていう本で、下河東の熊野神社の御神幸祭りのことをこう書いてるさね。ちょっくり読んでみるじゃんね。

Photo 熊野神社

 「神輿は、昭和町の上河東を出発して、玉穂町下河東、町の田、井ノ口、河東中島の順路でまわって、それぞれの氏神社で休みます。神官はお神酒を供え、昼食はいつも下河東の茶道中楯さんのところでとりました。(中略)

 この祭りはまた、『棉の祭り』といって、氏子各組は巡幸神輿に各地棉一盛りずつ奉納しました。中楯さんが神官と相談して、棉作奨励のために特に棉を神様に奉納するようにしたようです。氏子は上河東だけでも40組以上あり、どれくらいたくさんの棉花が奉納されたかわかります。

 明治の初めまで棉花奉納の儀式は行われていましたが、次第に棉花の栽培も衰え、同時にこの祭りも廃れ、今は全く行われていません。」

515_3 5月15日 双葉が出た

614_3 6月14日 本葉が数枚でたが、弱々しい

711 7月11日 がっしりして、蕾もついた

 中央市のワタ栽培の昔を思い出すように、資料館の玄関のとこにワタを作ってみとうさ。ワタが採れたら、実繰(さねくり)で種をはずしたり、綿打ちをしてみたいじゃんね。ワタがでっかくなるのに合わせて、また話をするじゃん。楽しみに待っててくりょう。

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