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2013年7月31日 (水)

平成25年度「こども夏まつり」のご案内

こんにちは、まゆこです♪

 中央市豊富郷土資料館の『こども夏まつり』がもうすぐ開催です!

 平成25年8月3日(土)・4日(日)の2日間(午前10時~午後3時半まで)

 1歳未満の乳幼児を除く、中学生以下の子供が対象です。

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 まずは、受付で参加エントリーしてください。

             ↓

 そして、4つのゲーム(①館内ウォークラリー ②ジグソーパズル ③魚つり ④水てっぽう)を次々にクリアしてください。

             ↓

 4つのゲームすべてをクリアすると、参加賞として夏の縁日の定番「ヨーヨーつり」ができます!!

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そのほか、『こども夏まつり』開催の2日間はすべての方が入館無料です。

 そうそう、大人の方にはちょっと難しいクロスワードパズル(昔の道具編)なんかも作りましたので、涼しい豊富郷土資料館で夏の一日をゆったりと有意義に子供たちとお過ごしください!

 この機会に、お父さん、お母さん、おじいちゃんやおばちゃん、近所のおじさんやおばさんも、みなさん誘い合ってたくさん来てくださいね! 資料館隣には、「シルクふれんどりぃ」という温泉・宿泊施設もありますから、ご家族そろってゆっくりできると思いますよ♪

まゆこPhoto

 

2013年7月28日 (日)

まゆのメリーゴーランド?!

こんにちは、まゆこです。

Img_0142こんな面白いビジュアル、なかなか無い道具ですよね!

何に使われたと思います?

 

 

 

 

ヒントは当館2階にあるといえば? そう養蚕関係の道具です。

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答えは「種繭雌雄鑑別器」でございます。 部品が外れていたりしたので、直してまゆをセットしてみました。 そして、早速回してみました。

 

 まゆのなかでさなぎになったかいこはオスとメスで重さが違います。卵を産むメスの方がオスより微妙に重いのです。 この雌雄鑑別器はゴンドラに一つずつ乗ったまゆのうち、軽いオスが落ち、重いメスが落ちずに残る仕組みになっているようです。

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本体中心部を覆うこのおしゃれな装飾にも見える切り込みの入った鉄板が、重さ鑑別の肝であるよう。回転する際にこの部分を通過するゴンドラの根もとは、それぞれに乗ったまゆの重さにより3つのルートに分かれて通過していきます。重いものは最も上のルート、軽いものは最下のルート、中間のものは真ん中のルート。最下と真ん中のルートを通るゴンドラのまゆは、取り付けられたアームの金具に引っかかって落とされます。

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このように軽いオスのまゆは取り付けられたアームに引っかかり落ちます。

 

 この道具は主に蚕種家とよばれる、蚕の卵を販売する人々が使いました。まゆから成虫が出てしまう前のさなぎの段階で雌雄の数を確保するために使用されたようです。

 

 なのでもちろん、ゴンドラに乗せられたまゆの中のさなぎは生きていたわけで・・・・。「わーい、クルクルしてきゃっほー」とは思わなかったでしょうが・・・、なんだか楽しげな雰囲気を想像してしまうまゆこ。

 

 これと類似した資料を所蔵している長野県の岡谷蚕糸博物館の収蔵品リストを見ますと、「最初のうちは手で回していたが、モーターで回転するように改善された。しかし蚕体識別が主流であったので普及はしなかった」とあります。 ほ~(^人^)この道具、普及はしなかったのね。それだけに、貴重な資料かもしれませんよね♪

 

 でも、どこでどんな人が発明し製作したのでしょうか? ズームアップしてみますと、

Img_0143何やら手がかりとなりそうな文字が・・・・。 『清気舎製造』『京都府加佐郡河東村』『種繭雌雄鑑別器』『織田式』『実用新案』『六一二九七号・六八六八二号』『京都府織田製原動機特製品』

 

 岡谷蚕糸博物館所蔵の資料は大正5年に大沢太郎により考案された「大沢式雌雄鑑別器」とありましたので、当館所蔵の織田式とは別の製造者です。姿や鑑別原理は似ていますが、鑑別結果を示すまゆの落ち方が違うようです。

 

 あまり普及はしなかったようですが、日本中で盛んに行われていた養蚕において、大正時代の勤勉な日本人がそれぞれの地域で試行錯誤し、様々な道具を研究・考案してきた歴史がうかがえる資料の一つだと思います。

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しかし、何の予備知識もなく現代の私たちが、ごくシンプルにその道具のビジュアルや動きを見てみると、回転しながら上下に複雑にまゆの乗ったゴンドラが動く様は、単純に、とても面白く興味深いものがあります。 そんな視点で資料館の展示品を、もっと気軽にご覧になるのもよいかもしれません。 豊富郷土資料館2階の豊富な養蚕資料の中には、まだまだ掘り出し物はいっぱいありますからね♪

まゆこPhoto

2013年7月27日 (土)

「浅利与一物語」

こんにちは、まゆこです。

みなさま、お知らせです!
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 中央市豊富郷土資料館ではこのたび、義経とともに源平合戦で活躍した弓の名人で地元の英雄「浅利与一」のことがよくわかるマンガ『浅利与一物語』を作製しました。 

 来館された希望者に無料で配布いたします!!(平成25年7月27日現在、作製部数に限りがありますので、お一人様一部ずつでお願いいたします)

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 この漫画は、平成25年1月号の山梨県中央市の広報より「文化財と歴史を訪ねて第78話」の転載ですが、今回はA5判のカラー全8ページとなっております。 市内在住の漫画家田中正仁さんが描いてくださいました。

 内容は、「姥神さま」(地元に残る与一強弓の逸話)・「遠矢」(壇ノ浦の戦いにおける与一の活躍)・「与一の矢文と弓建の嶺」(地元に残る与一史跡伝説)・「板額の嫁取り」(越後国の板額御前を嫁とした経緯)の4つのストーリーが大変わかりやすく描かれています。

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このまんが、浅利与一さまのかっこよさ炸裂です!

 さらに、浅利与一が活躍した時代の解説や甲斐源氏の一族である浅利氏の系譜、中央市内に数多く残る与一ゆかりの史跡マップ等も載っています。 浅利与一さまの情報満載なのです!!

 これを読んでいただければ、

①山梨県中央市に今も伝わる浅利与一に関する様々な伝説・史跡

②平家物語の中に記されている浅利与一の活躍とは、どのようなものであったか

③敵国であった姫を嫁にした、与一の人間的な魅力を想起させる逸話

④浅利与一の生涯

などがよ~くわかります。

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 平家物語で弓の名人というと、那須与一さまが一番有名人でいらっしゃいますが、佐奈田与一さまとならんで浅利与一も弓の名手「三与一」の一人です。 
来館されるお客様の中にも「与一といえば那須与一で、浅利与一という人がいたとは知らなかった」という方が多いんです。 もっともっと浅利与一のこと知ってほしいな♪といつもまゆこも思っています。

 

 この本片手に、自分の足で浅利与一ゆかりの旧跡をめぐってみるのも楽しそうですよ。どうぞご活用くださいね。

まゆこPhoto


2013年7月26日 (金)

渡辺回転蔟製作所(中央市向井木原)

Img_0160 渡辺国夫さんから教えていただいた、回転蔟の製作法は、とても面白いものでしたね。工場だけでなく、農閑期の冬場に、制作台を貸し出して、養蚕農家でも作っていたそうです。戦後間もなくは大変忙しい時で、渡辺さんは勉強より家業の手伝いを優先し、一家総出で働いたとのことです。
がらんとした工場跡で、ここにはこんな機械が、あそこではどんな人がどのような作業をしていたか、ここはボール紙を積んだ場所だと、詳しい説明をしてくれました。
工場の外の街灯を見ると、「渡辺回転蔟製作所」と看板がありました。最近まで使われていた工場だということがわかります。
このほかに、甲府の住吉に「日産回転蔟製作所」、南アルプス市に「国光回転蔟製作所」などがあって、農協から大量に注文を受けていたようです。(渡辺さん談)

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2013年7月25日 (木)

養蚕・回転蔟の作り方

Img_0175 先般、渡辺国夫さんから、回転蔟制作台を寄贈していただきましたが、今度はその使い方について、教えていただきました。
最初に、ボール紙の裁断を行い、長い紙と短い紙に、切込みを入れたものを、制作台の横に備えます。まず、短い切込みの入った紙を端から入れ、今度は長い紙を溝にそって入れていきます。この時、ボール紙の端に折れ目があるので、同一方向にそろえておきます。新品のボール紙では、軽く紙の上をたたくと、きちっと方形にマス目ができます。
この次が、この制作台の素晴らしさの真価が発揮されるときです。端をさっと持ち上げると、見事に制作台から外れた蔟の内側の方形マス目が飛び出します。
この外側にのりをつけ、あらかじめ作っていた外枠のひし形ボール紙に挟んで、プレス機で圧縮して、一晩乾燥させると、完成です。あとは10本ずつ束ねて出荷します。

Img_0151 工場の跡も見せていただきました。今は機械はほとんど運び出されて残っていませんが、往時の賑わいがあちこちから湧いてくるようです。

2013年7月22日 (月)

雑誌『甲斐』に浅利与一と冨士池関係の論文掲載

Img_0119 この度、山梨郷土研究会の会誌『甲斐』130号に中央市関係の研究ノート2編が掲載されました。一つは「浅利与一小考」(末木健)で、もう一遍は青柳陽一氏の豊富史再考「冨士池」です。
浅利与一義成は源平合戦に活躍した甲斐源氏の武将の一人で、中央市の豊富・玉穂・田富地域に勢力基盤を置いた武将です。この論文では与一の母親が市河荘の別当の娘の可能性や、与一の所領青島荘がなぜ与一に帰属したか、また、越後で反乱を起こした城氏の板額御前をなぜ娶ったのかについて、述べたものです。興味のある方は是非ご一読ください。
また、青柳氏の「冨士池」論文は、池に建つ歌碑が従来説の大嶽講ではなく富士講Img_0120 にかかわるもので、かつて西八代郡下に広く講が行われていたことや、富士の忍野八湖と関わることを説明しています。先に世界遺産登録となった富士山にかかわる考察として注目されます。

問い合わせは帝京大学文化財研究所内の山梨郷土研究会事務局、電話055-263-6441へお願いします。

Img_0123 青柳氏の論考

2013年7月21日 (日)

「水てっぽうつくり」と講演会「中央市・山と信仰」の開催報告

Img_0082 水てっぽうつくりには、予約した方々と、シルクの里公園に遊びに来た方々の40名以上が参加して、竹の水てっぽうを作り、表のピロティーで実際に水を飛ばしました。
とても上手に出来て、5m以上飛ばした子供もいます。的に当たって大喜びでしたが、靴やズボンがびしょびしょでした。子供たちはそれでも平気で大騒ぎです。開催した私たちも、また、制作指導にあたったボランティアの方々も大満足でした。

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Img_0125 午後からは、青柳陽一氏を講師に「中央市・山と信仰」と題して講演会を開催しました。大鳥居の冨士池に立つ歌碑の側面に「大我講中」とあり、今まで「大岳講中」と読まれていたことが間違いであることや、富士講「大我講」と中央市・西八代地域に残る富士講の碑と講について、スライドを使い詳しく説明がありました。
富士講にまつわる民話「おしのと冨士池」「もがりぶえ」などの成立時期について、参加者から参考意見もあり、有意義な講演会となりました。こののち、企画展を見学して散会となりました。

今後は、8月末から9月にかけて「中央市豊Img_0138 富郷土資料館歴史文化講座」を開催しますので、皆様ぜひお出かけください。

2013年7月19日 (金)

水てっぽう作りと講演会

こんにちは、まゆこです。

 平成25年7月20日(土)も中央市豊富郷土資料館はいろいろやります!

午前は「水てっぽう作り」、午後は『中央市・山と富士山』と題して青柳陽一さんの講演会を催します。

親子体験教室「水てっぽうを作ろう!!」Img_0076

平成25年7月20日(土)午前10時~12時

先着順で親子(小学生)20組

場所 : 中央市豊富郷土資料館ピロティー

参加費 : 無料

持ち物 : 錐(きり)とスポンジ(1×10㎝)を持参していただけるとうれしいですが、無くても大丈夫です。

昔ながらの竹の水てっぽうを作りましょう♪ この機会に、早めに夏休み工作をやっつけてしまうというのはどうでしょうか? 自分で作った水てっぽうで、シルクの里公園の小川でさっそく遊んでみましょうよ!
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講演会「中央市・山と信仰」

平成25年7月20日(土)午後1時半~3時半

場所 : 中央市豊富郷土資料館シアタールーム

参加費 : 無料    申込み : 不要

講師 : 青柳陽一氏(山梨郷土研究会会員・中央市歴史文化ボランティアの会会員)

 かつて人々の生活や農業を支え、信仰の対象であった山。さらにその山を越えて富士山に向かった富士講の人々。山梨県中央市でいまに残る山と富士山の歴史・民俗を探ります。

なお、親子体験教室と講演会のどちらかに参加された方は入館料が免除になります。暑い夏の休日を、ご家族で、涼しい中央市豊富郷土資料館でどうぞお過ごしください!お待ちしております。

まゆこPhoto

2013年7月18日 (木)

ミニ企画展 「ガラス ~その用と美~」 始まる

 ガラスが日本にもたらされたのは、2000年以上前の弥生時代です。その頃のガラスは、貴人を飾る威儀具であり宝物でした。

 瑠璃・玻璃と呼ばれた時代から、ガラスと呼ばれる現代まで、ガラスはさまざまに加工され、私たちにその実用性と美しさを見せてくれました。

 今回のミニ企画展は、資料館所蔵の、形や用途のおもしろいガラス製品を展示します。はて?これはなんだろうというものもありますので、ぜひご覧ください。

 期間平成25年7月13日~10月14日

Dscn34831 さっそく見ていただきました。

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 昭和6年に画期的な目薬瓶がロート製薬で開発されました。それは、今まで目薬はスポイトで点眼しなければならなかったのに、スポイトと目薬瓶が一体となり、瓶の上部のゴムを押すことで点眼されるようになったのです。(右側の瓶)

 昭和35年ころにプラスチック容器にかわるまで、ガラスの目薬瓶は使われました。

 

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アルコールランプで水を熱し、薬品とともに噴射させ、ぜんそくなどの治療に使う吸入器です。しばらく後に電気で水を温めるようになり、小型にはなりましたが現在の吸入器も同じ原理です。

 大正の終わりころから昭和の初めにかけて普及しました。

大福寺の観音祭典

Dscn0199昨日の仕事も終わり、資料館を出てちらりと外を見ると、大福寺の観音堂前に大きなのぼりが立てられていました。あれ、朝はなかったのに、と思いバイクを近づけてみると、数人の方とお寺の住職さんが作業をしています。何か行事があるのですか?と尋ねると、「今日17日は観音祭典があり、夕方6時半から、御堂でDscn0224護摩を焚く」とのことです。
先般は夏の道祖神まつりを調査せずに帰ってしまったので、今日はビールの誘惑を断ち切り、祭典に参加させていただくことにしました。
住職のごあいさつの後、観音菩薩様の功徳のお話、般若心経の読経、真言の呪文などを唱えながらいよいよ護摩を焚きます。堂内には8名の檀家役員の方が参Dscn0242列し,荘厳な儀式の進行に浸っていました。
前立正観音様も今日は一段と穏やかで崇高なお顔に見え、祭典をじっと優しく見守っています。
最後は、参加者が護摩の火や煙を体に受け、無病息災を祈願しました。当然私も最後に参加させていただきました。
祭典が終わって外に出ると、辺りは真っ暗です。昨日は偶然とはいえ、こんな貴重な祭典に参加させていただき、また、写真を撮影させていただき感謝感謝です。12月31日の大晦日には除夜の鐘を撞き、元旦になると新年の多幸や安全を祈願した護摩焚き行事があるそうです。何とか参加したいものです。






2013年7月14日 (日)

ワタの話(1)

Dscn33521 富子だよ。久しぶりじゃんね。

 豊富郷土資料館には、養蚕の道具はたいへんあるさね。ほんだけんど、中央市でいえば、玉穂地区や田富地区は、昔はワタ作りも盛んにやってただよ。

 

『甲斐国志』っていう本にゃ、木棉の産地は 巨摩・山梨・中郡筋で、特に奈胡庄(なごのしょう、旧甲西町・旧田富町)が名産地って書いてあるだってさ。

 知ってるけ? 「綿(めん)」ていうのは本当は「真綿(まわた)」のことだってよ。「緜(めん)」とか「糸綿(いとめん)」とも言うだって。ワタは植物繊維だから木偏のつく「棉(めん)」の字を使うだって。日本語は難しいじゃんね。江戸時代の初めころ木綿が服の材料に使われるようになってから、区別をするために「真綿」とか「木綿」とか呼び分けるようになっただってさ。

 最近は、種を取ってない棉花を「棉」て言って、種を取ったのを「綿」ちゅうらしいよ。

 土屋靖麿さんは、『アゼ道をゆく』っていう本で、下河東の熊野神社の御神幸祭りのことをこう書いてるさね。ちょっくり読んでみるじゃんね。

Photo 熊野神社

 「神輿は、昭和町の上河東を出発して、玉穂町下河東、町の田、井ノ口、河東中島の順路でまわって、それぞれの氏神社で休みます。神官はお神酒を供え、昼食はいつも下河東の茶道中楯さんのところでとりました。(中略)

 この祭りはまた、『棉の祭り』といって、氏子各組は巡幸神輿に各地棉一盛りずつ奉納しました。中楯さんが神官と相談して、棉作奨励のために特に棉を神様に奉納するようにしたようです。氏子は上河東だけでも40組以上あり、どれくらいたくさんの棉花が奉納されたかわかります。

 明治の初めまで棉花奉納の儀式は行われていましたが、次第に棉花の栽培も衰え、同時にこの祭りも廃れ、今は全く行われていません。」

515_3 5月15日 双葉が出た

614_3 6月14日 本葉が数枚でたが、弱々しい

711 7月11日 がっしりして、蕾もついた

 中央市のワタ栽培の昔を思い出すように、資料館の玄関のとこにワタを作ってみとうさ。ワタが採れたら、実繰(さねくり)で種をはずしたり、綿打ちをしてみたいじゃんね。ワタがでっかくなるのに合わせて、また話をするじゃん。楽しみに待っててくりょう。

シルクの里公園の巨大な・・・

こんにちは、まゆこです。

暑いですが、今日もシルクの里公園はにぎやかです。

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これは平成8年公園開設当時からの、一番の人気遊具。中に空気が入っている巨大なトランポリン。大人も子供も、これでぽよんぽよんする楽しさったらないですよね!似たような遊具は日本各地にあれど、何人もの子供たちがダイナミックに端から端へと駆け回ることのできる規模は、他所にはあまりないと思います。そしてこのシルクの里公園という名称にふさわしく、紛れもなくまゆの形をかたどった遊具です。

しかし、公園の名はこの遊具の俗称でよばれることが多いです。 えっ?!なんですって?「おっぱい公園」! ちがいますよ、ちがいまーす。

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管理しているシルクふれんどりぃに正式名称を確認したところ、この遊具は「ふわふわドーム」という名です。だから、「ふわふわ公園」? やっぱちがうねぇ~。

まゆこつぶやき「この看板、ふわふわがカタカナですけど・・・・・」

Dscf5111しか~しここで本題、この形のまゆを皆さん見たことがありますか? 公園すぐ隣にある豊富郷土資料館の2階・資料室で探してみてください! その名は「小石丸」という品種です。真ん中が少しくびれたピーナッツのような形です。そして他のまゆに比べて、とても小さいです。 シルクの里公園の「ふわふわドーム」はこの「小石丸」という種のおかいこさんがつくったまゆの形をモデルにしているのです。たぶん、いや確実に♪

この「小石丸」は古くから日本にあった在来種で、明治時代までは日本各地で盛んにつくられたのですが、大正時代になると養蚕家はつくらなくなってしまいます。外来種に比べ、その小さなまゆからはとても少ない量の糸しかとれなかったからです。しかし、その糸は蚕種の中でも最も細く、毛羽立ちの少ない上質な糸だそうで近年見直されてきています。

Dscf5109豊富郷土資料館に展示されている蚕種の紙にも「春蚕 小石丸」とあるので、かつてこの豊富地区でも育てていたことにまちがいなさそうです。他にも、豊富地区の電灯やマンホールの図柄には小石丸が採用されています。それから余談ですが、モスラが東京タワーにつくったまゆは確かに小石丸のかたちでした。大正時代には実用品種として姿を消していたというのに、まゆの形をイメージする私たちの脳裏にこの小石丸がインプットされているのは不思議なことですよね。ちなみに、皇室では代々この小石丸を育てており、愛子様の産着に使われたということです。日本人にとってこの「小石丸」という品種は大切に守っていくべきものなのでしょう。まゆこつぶやき「来年はうちの資料館でも飼育したいなぁ。どこから種を分けてもらうことが出来るのだろう?」  カンチョー「また何をゆってるだぁ。いろいろ妄想して~」

Dsc_1183いづれにしろ、山梨県中央市をはじめ、近隣の方々から絶大な支持を受けているシルクの里公園の遊具に、自然発生的に親しみのある名前がつけられているのは、喜ばしいことだと思います。いいんです!「おっぱい公園」と言われたって!!

でも、この遊具の形は「小石丸」っていうおかいこさんのまゆだということも、皆さんに知ってもらえるとうれしいな♪と思うまゆこです。

Photoまゆこのボディも「小石丸」なのよ!

2013年7月13日 (土)

ボランティアさん大活躍

7月12日に、市川三郷町から若竹会の皆さんが研修に来てくれました。

そこで活躍してくれたのがボランティアのみなさん。大福寺や浅利与一公の墓の見学の案内や解説を引き受けてくれます。見学するみなさんに先回りして御堂の扉を開けたり、全員が出たことを確認して閉めたりという仕事もあります。

この日はボランティアの会の会長の加藤さんが、甲府城の案内でも使っているマイスピーカーを腰に、大福寺の由来や、文化財指定の内容、与一の墓の文化財的価値などを熱心に説明してくれました。

Img_0048 大福寺薬師堂の前で解説する加藤さん

Img_0051_2 平安後期の薬師如来坐像

Img_0064 浅利与一の層塔の前で

若竹会の会員の皆さんは

「こんなにていねいに説明してもらえるとは思っていなかったので、ありがたかったです。大変勉強になりました。」

「薬師さんの大きさに圧倒されました。仏様の力を感じた気がします。(薬師如来坐像は高さが2m80cmもあります)。」

「個人で来たのでは見られない前立観音や多聞天などの平安時代の仏様を間近で見ることができ感動した。」

「資料館の資料の多さにびっくりした。」などと感想を語ってくれました。

ボランティアの皆さんは資料館から飛び出して案内してくれますよ。グループで研修会などを計画している方はぜひご検討ください。

2013年7月 9日 (火)

七夕まつりにぎわう

Dscn3419 玄関ホールの七夕飾り

Img_0030 熱心に七夕人形を切る来館者


Img_0037_2 子どもたちも梶の葉を切る

 

 突然の梅雨明け宣言とともに、気温がうなぎ上りにのぼった7月7日。七夕まつりにはなんと127名もの来館者があり、イベントを計画したスタッフにはとてもうれしい一日となりました。子どもたちにプレゼントした七夕かざりキットには、短冊・おりがみ・投網用の和紙・梶の葉をプリントした画用紙・塗り絵・七夕の由来や七夕人形の切り方の印刷された説明書などが入っています。もちろん笹もついています。

 資料館では今回山梨市市川・甲州市勝沼・甲府市国玉の七夕人形を飾ったのですが、新たに笛吹市八代でも七夕人形を飾ることがわかりました。そしてその切り方も教えてもらいました。七夕の夜には甲府盆地のあちこちで七夕人形がゆれていたのですね。

 

 

タヌキと暑さ  シルクの里公園に出現

Ca3f0386 暑い、暑い、体温以上に暑い日が続きます。こんな時でも暑さに負けずに、ふれんどりぃの所長に誘われて散歩に出かけ、くらくらしながら公園の東にたどり着いたとき、何やら不思議な動物が座り込んでいました。ネコか?それともイヌ?、暑さにやられた2人の中高年が、目を凝らしてじっと見ると、向こうもこちらをじっと見返しています。「タヌキ」です。所長が携帯カメラで写して、さらに近づこうとしたら、側溝のふたの下へドロンと消えてしまいました。
本当にタヌキなのか、幻か、暑さにフラフラの中高年の見たものは、確かにタヌキだということが、写真で証明できました。でも、暑さとの関係は?彼はどこに行ったのか?

2013年7月 7日 (日)

夏の道祖神まつりー中央市大鳥居地区

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資料館からの帰り道、道路わきの藁束の中央に七夕のササが立てられていました。もしや、どんど焼きではないか?近くの畑で農作業中の方に聞くと、やはり道祖神まつりのどんど焼きとのこと。夏のどんど焼きです。これこそわが人生初めてのまつりです。あわてて大鳥Dscn0146


居の水上地区・川東地区・山宮地区をめぐると、道祖神が新しい注連縄に囲われている場所と、半年間何もない古い注連縄が朽ちた道祖神と両極端でした。おそらく、来週にまつりが行われる個所もあるのでしょう。どんど焼きは大鳥居の上手地区だけでしょうか?
本当は着Dscn0150火を見たかったのですが、今日は七夕祭りでへとへとなので、どんど焼きを見ずに帰ることにしました。残念ですが、アルコールの力には勝てませんでした。ごめんなさい。
上の写真は大鳥居地区上手、中は大鳥居の水上地区です。下は同地区川東の道祖神です。こうしたしきたりが今も息づいていることに感謝したいですね。

2013年7月 5日 (金)

ジェット洗濯器の取扱い説明書

こんにちは、まゆこです。

「家庭生活の文化的改善は先ず洗濯から」(ジェット洗濯器説明書内キャッチコピーより)

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このジェット洗濯器については、山梨日日新聞とYBSラジオさんで報道してくださったおかげで、本当にたくさんの方々から様々な情報をいただき、新たに2人の方からも貴重な資料のご提供をしていただきました。 感謝いたします。

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なかでも、山梨市の藤原さんが寄贈してくださった、取扱い説明書付きで新品同様のジェット洗濯器は、YBSラジオ番組内で実際に洗濯をすることができました。これで社会科見学でやってくる子供たちに、正確な使用方法や使用実感などを伝えることができます。

 また、お目にかかることはないとあきらめていた使用説明書の入手により、ジェット洗濯器の驚くべき高性能を知ることとなったのです!

今回は、その知られざるジェット洗濯器の能力についてお伝えします。(ちなみに、性能における感動ポイントはあくまでもまゆこ視点によるものです。)

ではまず、

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使用方法の 1 から読み始めてまずびっくりしたのは、洗濯器の側面に塗布された示温塗料によって、洗濯する布の種類に合わせた湯温を目で確認できるようになっていたという事実です。説明書には「黄色が50℃で橙色に、赤色が70℃で暗紫色に変色します」と書いてあります。 すごーい!!

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そして、ふたは蓋だけの機能にあらず!この洗濯器の真髄である膨張圧力洗浄法をなすための重要なパーツであることのみならず、なんと、脱水機能をも持ち合わせるものであったとは! 「洗濯物の一部を指でつまみ蓋で押さえて出せば洗濯液が絞れます・・・・」とのこと。 わぁー感動する!!

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そしてまゆこ的感動ポイント極めつけの3つ目は「ドライクリーニングも出来ます」ということです。 すごすぎる! 恐るべし、ジェット洗濯器の能力です!

この取扱説明書もジェット洗濯器とあわせて展示いたします。ぜひご覧ください。

ご注意≪以下、まゆこのきみ(ジェット洗濯器)への思い込み語り。いらない人はスルーして下さい≫

思い起こせば4月のはじめ、展示室の電気洗濯機の隣で、ふたが無くてあんぐりと口を大きく開けたまま天井を見つめていただけのきみが。なんかしゃべりたそうだったんだよねぇ。まゆこはなんか気になってしょうがなくて「ちょっとあんた、ひっくりかえっておしりみせなさいよ」と思わず声をかけちゃった。

そうしたら、群馬の生まれで、眞木産業という会社でつくられたことがわかったんだ。

その後、新聞できみのふたを探していることを知った親切な人々が、まゆこの知らなかったきみのことをいろいろ教えてくれたんだ。うれしいねぇ。

きみのふたはゴムでできていた。昭和38年にきみの働く姿を実演販売でみて感動し、1,200円で買った日のことを昨日のことのように話してくれたおばあさんもいた。きみはアパートで暮らしていた若いころのおばあさんのシーツを洗うのにずいぶん活躍したそうだよ。そのほか、きみのことは山梨県中の人々が忘れてなんかいなかった。たくさんのひとが電話をくれたよ。

そして、ゴムのふた付きのきみを寄贈してもらったんだが、ゴムが50年の時を経て劣化し、膨張圧力洗浄が試せないとラジオで話すと、今度は未使用のきみが取扱説明書付きで存在することがわかった。それだけでなく、親切で優しいその持ち主さんが「あるべき場所にきみがいることが大事だ」といってくれて、豊富郷土資料館に寄贈してくれたんだよ。

世の中なんてすばらしい人ばかりなんだ!

ジェット君、きみのおかげだよ!

愛すべき君の存在は、電気洗濯機が普及するまでのたった10年足らずのまぼろしの洗濯器にあらず!

山梨の人々の昭和の記憶に確実に存在していた。そして、平成のいまの人々をつないでくれた。きみのことは資料館職員が責任を持って平成生まれの子供たちに伝えていくからね。

ありがとう!

Photo

企画展「中央市・山と富士山」よりー富士講行衣ー

Img_0009 資料館の収蔵庫に富士講の行衣がありました。寄贈者氏名から中央市高部の住人のものと想定されます。高部の塚田さんからは、富士講の経典「お伝え」も寄贈されており、この地域は富士講が盛んだったようです。
写真にあるように、中央の背中には三国第一山」の文字ノ下に三猿が描かれ、右袖には三尊と「富士山神霊」と書かれた印刷、左袖には富士山の絵が、版木で摺られています。襟首のところには『頂上の印』が押されており、そのほか「富士山御門」「鈴原」「御御岳」などの朱印がみられます。
この行衣を来た富士講信者は、山頂まで登り御鉢めぐりもしたのでしょうか?きっと山頂まで行って、印を押してもらい、晴れ晴れとした気持ちで、故郷に帰りついたことでしょう。

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2013年7月 3日 (水)

七夕人形

こんにちは、まゆこです。

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豊富郷土資料館では、平成25年7月7日(日)に「七夕まつり」を開催します! すべての方が入館無料になります!

七夕クイズにお答えいただくと、お持ち帰り用の笹と七夕飾りキットを差し上げます♪ どうぞ、当資料館内の工作場で飾りを仕上げてお持ち帰りください。

Img_0179左「甲府市国玉の人形注連」


また、山梨伝統の七夕人形も3種ご紹介します。山梨市市川・笛吹市勝沼町・甲府市国玉に伝わる七夕飾り用の紙人形です。人形の袂(たもと)や裾(すそ)は切り込みを入れて長く長く下げられ、そのひらひらと風になびく姿がとても優美なのです。

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そして、洗練された美しさを持つこれら山梨の七夕人形には、7月7日が過ぎたあとにも役割があります。なんと、家や田畑を守る神として次の年の七夕の日まで働いてくださるのです。「七夕」と書いた紙に包まれた人形は、お蔵の入り口にくぎで貼りつけられて『御留守居さん(オルスイサン)』とよばれる泥棒除けになったり、田畑に飾られる場合は、虫がつかないように見張ってくれるのだそうです。美しいだけでなく、働きもののお人形ですよね!是非この機会に、作り方をご覧になっていってください! 右「泥棒除けのお留守居さん」

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その他、宮中の七夕儀礼に古くから登場する「梶の葉」のご紹介もいたします。

「天の川とわたる舟の梶の葉に思ふことをも書きつくるかな」上総乳母(後拾遺和歌集)

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平安時代の宮中人にならって、梶の葉の紙形に和歌などしたためてみましょうか♪

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7月7日は来館された皆様と優雅で楽しい七夕まつりを過ごすことができますように・・・、そう願って準備をすすめています。

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おかいこさんの羽化と産卵

こんにちは、まゆこです。

Img_0169平成25年6月26日の朝、出勤してみると一頭のオスが羽化していました。(ふ化から43日目・まゆをつくって16日目)そして、28日までに3頭のオスのさなぎすべてが羽化しました。

メスが羽化したのは29日からです。大きいほうがメスです。おなかにたくさんの卵が詰まっています。

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さっそく交尾がはじまりました。

メスが羽化する前は、触覚を動かすこともなく静かにしていたオスの成虫ですが、メスが羽化しフェロモンを出しはじめた途端に飛べない羽をばたつかせて元気に動きはじめました。

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そして、6月29日卵を産みました。

次へ子孫を残したおかいこさんの命はもうすぐ尽きてしまいます。

たくさんのいろいろなことを教えてくれたおかいこさんたち。ありがとう。

5月21日に山梨県中央市豊富地区の中込さんより分けていただいたおかいこさんたちは、70頭が無事にまゆをつくり、6頭が卵を産む役割を果たしてくれました。

まゆはいま乾燥中です。おかいこさんたちがくれた大事ないのちを大切に、今後の資料館での学習に生かしたいと考えています。

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