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2013年5月12日 (日)

中央市南の弓建嶺に石弓が建てられましたよ

Img_0054_2 浅利与一公が、ここから一町畑の老婆をシラサギと間違えて弓で射ってしまったという伝説の地に、江戸時代に建てられた石祠と石弓があります。石弓は長さ9尺(2m70cm)、下の村から見ても、白く輝く姿は目立った存在だったと思います。江戸時代に作られた『甲斐国志』にも、その伝承と、「後人石弓を造りて此処に建て与市の石祠を置て以て表とすと云う」と記されています。
この石弓が本来1本か2本建てられていたのか不明で、1994年に豊富村教育委員会が調査した時は、短い1本が祠の東側に建てられ、長い1本は倒れていたようです。
昨年の12月1日に中央市歴史文化ボランティアの会で調査した時には、長い石弓(170cm弱)は斜面の途中にありました。この2本が本来1本か、または2本建てたのか、接合できるか議論になりました。
この宿題に挑んでいただいたのが、地元大鳥居の川東地域の皆さんです。皆さんは4月の山ノ神神社の祭礼に合わせて、この祠の整備・清掃をするために登り、斜面の重たい石弓を引き上げ、短い石弓と割れ口を合わせて検討した結果、ぴったり接合はしなかったとのことです。風化したか、あるいは折れた時に間の石が細かく砕けたか不明です。川東地域の役員Img_0056_2 の方々により、祠の両脇にそれぞれ1本ずつ建てられました。その状態が今回の写真です。撮影は5月12日(日)です。石弓は与市公の弓と同じ九尺ほどの長さであったか、2本建てたのか、なぞは残ったままです。二つの石の形状はとてもよく似ているのですが・・・
なお、祠の脇には竹の弓と、紅白に矢柄を塗られた矢が置かれていました。こうした伝統は江戸時代から続いているもので、200年の伝統があるのですね。どうか末永く伝えていただきたいものです。
私たちは弓建嶺を、素直に「ゆみたてみね」と呼んでしまいますが、『甲斐国志』には「ゆみたてとうげ」とフリガナがふってあります。地名の歴史にも興味がありますね。市川三郷町の中山では、この山を弓張と呼んだようです。

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