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2013年5月29日 (水)

「おかいこさん」と♪「ナラビダンス」♪

こんにちは、まゆこです。

豊富村誌のなかの「ナラビダンス」という言葉に、くぎ付けになってしまった!

なんとも心躍るネーミングでしょう♪ でも、この「ナラビダンス」って言葉、何のことだか、わからないでしょう?

「ならぶ」=山梨県中央市豊富地区のことばで、おかいこさんが脱皮するために、眠(みん)に入った状態のこと。

「だんす」=団子(だんご)のこと。

要するに、「ナラビダンス」とは、おかいこが「眠」の時につくるまゆの形をしたおだんごのことです。

しかし、このお団子の呼び名は、中央市内でも様々であったらしく、「ならびだんご」とか「おだんす」ともいっていたそうです。

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山梨県中央市豊富地区の「ナラビダンス」は小豆あんを入れた米粉のおだんごで、お正月の繭玉より大きい直径5~6センチでした。桑の葉っぱの上にのせて、小皿やお盆で、神棚や仏壇・蚕棚(かいこだな)・蚕影山(こかげさん)を祀るところに供えました。隣家へも分けて、皆で食べたそうです。

「ならぶ」たびに作るとすると、おかいこはまゆをつくるのに4回脱皮し、一年に春蚕・夏蚕・初秋蚕・晩秋蚕・晩々秋蚕と飼育すれば、最多で年に20回もつくることになります。が、多忙な時はつくれないので、年に3回から5回の家が多かったようです。

また、この「ナラビダンス」は年中働きづめの女たちの、たまの休みにつくる団子であったそう。

つきっきりで世話しなければならない養蚕において、かいこが眠(みん)に入り、給餌しなくてもよい「ならぶ」時は、女たちがつかの間にほっとする楽しい時間でした。その短い貴重な時間につくる、甘いあんこ入りのおいしい「ナラビダンス」は、女たちのひそやかだけれども、すばらしく楽しいひとときを演出したことでしょう。

「なんて、女性的でうつくしい風習なのでしょう!」

その後すぐにやってくる「眠」のあとの、「オキッコ(起蚕)」の世話は息つく間もないほどの忙しさ。 この束の間の楽しい時間は、気持ちの仕切り直しの意味合いもあったのではないでしょうか?養蚕をする女たちのまゆづくりにかける気概を感じます。

この風習は中央市においても、田富・玉穂地区に比べて山際の豊富地区のほうが盛んだったといいます。玉穂地区の人の話では、「田んぼの仕事も忙しかったし、ほうとうを毎日つくることもあって、米の粉よりも小麦のほうが手軽でね、小麦でつくることも多かった。それにくらべて山つき(豊富・三珠方面)は養蚕の規模も大きかったから、米粉のお団子で、神さんに熱心に拝んだとおもうよ」とのこと。

さらにお団子の中に入れる餡にも差があったようで、玉穂町誌によれば、「小豆も正月、盆をはじめ色々な行事に使い果たしてしまい、秋蚕のときには、小豆あんにするほどなく、きな粉に砂糖と塩を混ぜて餡にした」とあります。

しかし、豊富地区の古老の話では、「米粉でつくり、小豆あんを入れた」といいます。さすが、明治半ばから、品質の良いブランドまゆを生産した豊富地区ですよね。

平成12年の豊富村誌には、「昭和13・14年ころは最高で14万貫ほどの収繭を得ており、現金収入も一番だった。養蚕の苦労も「ならびだんす」のおいしさも、女たちの営みも忘れ去られようとしている」という少し感傷的な文章がみられます。

私たちは、かつての中央市を支えた養蚕の大変な苦労とともにあった、たおやかで美しい風習「ならびだんす」のうれしさも楽しさも、同時になくしてしまいつつあるのでしょう・・・。

むかしの人の気持ちを想っていたら涙がでそうに・・・・、まゆこの心も何だかとても動いたようです。

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う化から14日目、四齢・1日目のおかいこさんたち。体長3.5㎝と急成長しています。

「おせんげん(浅間)さんの馬のあしあと」と呼ばれる馬のひづめの形に似た紋様もはっきりみえるようになってきましたよ。

では、またね!

まゆこPhoto

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