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2013年5月31日 (金)

山ノ神林道よりの展望

Img_0154_2 中央市の南の御坂山地に、林道が建設されています。三俣尾山の周りを巡り、山ノ神社の南を通って、中央市の最高地点である「たいら山ー茶屋平(932m)」まで建設が続けられて います。山ノ神社までは今までは下から歩いて1時間ほどですので、足の悪い方は、下で遥拝して済ませるしかなかったのですが、今度は、林道から下って5分の時間で、神社につくことができます。まだ、完成してはいないので、一般の車両が入ることはできないようですが、昨日神社と道路状況を調査に行き、写真を撮ってきましたので、紹介します。
左の写真は南アルプスの遠景です。櫛形山の右に北岳が、左上には千枚岳・赤石岳などが見えます。右下には甲府盆地、さらに右側には八ヶ岳が一望できます。中央市の展望台といってよいでしょう。
写真左下には、林道と山ノ神社の分岐が見えます。この分岐を下ると約5分で神社につくのですが、路は砂利道で相当急です。
次の写真は、山ノ神社の正面です。平成6年に大鳥居の人々により新しくなった鳥居と石祠です。周囲には4月16・17日のお祭りで御札を売る社務所があります。

Img_0137 祭礼の日は大鳥居の当番の集落では、役員の方々が泊まり込みで籠ります。お籠り堂はこの社より少し北側に下った場所にあります。4月中旬とはいえ、まだまだ寒く、おなかの中から温める液体が、相当必要だそうです。
17日には参詣に来た人々に甘酒などがふるまわれるそうです。あれ?豚汁だったでしたか?どちらにしても、皆さん元気になるそうです。また、参詣者は地元だけでなく、甲府盆地は言うまでもなく、関東地方からもたくさんの方がおいでになります、ちょうど山ノ神千本桜の満開とぶつかる年は、大変なにぎわいです。生業や養蚕の神として厚い信仰があります。

Img_0142 石の祠の裏には、鉄の剣や宝剣、鳥居などが置かれていました。山岳信仰にみられる祭祀が行われていたことがわかります。神社の南側の地名には、精進日向という場所もあり、平場があります。修験の場所のにおいがプンプンする場所です。

今度は少し時間をかけて、周囲を歩いてみたいと思います。

2013年5月29日 (水)

「おかいこさん」と♪「ナラビダンス」♪

こんにちは、まゆこです。

豊富村誌のなかの「ナラビダンス」という言葉に、くぎ付けになってしまった!

なんとも心躍るネーミングでしょう♪ でも、この「ナラビダンス」って言葉、何のことだか、わからないでしょう?

「ならぶ」=山梨県中央市豊富地区のことばで、おかいこさんが脱皮するために、眠(みん)に入った状態のこと。

「だんす」=団子(だんご)のこと。

要するに、「ナラビダンス」とは、おかいこが「眠」の時につくるまゆの形をしたおだんごのことです。

しかし、このお団子の呼び名は、中央市内でも様々であったらしく、「ならびだんご」とか「おだんす」ともいっていたそうです。

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山梨県中央市豊富地区の「ナラビダンス」は小豆あんを入れた米粉のおだんごで、お正月の繭玉より大きい直径5~6センチでした。桑の葉っぱの上にのせて、小皿やお盆で、神棚や仏壇・蚕棚(かいこだな)・蚕影山(こかげさん)を祀るところに供えました。隣家へも分けて、皆で食べたそうです。

「ならぶ」たびに作るとすると、おかいこはまゆをつくるのに4回脱皮し、一年に春蚕・夏蚕・初秋蚕・晩秋蚕・晩々秋蚕と飼育すれば、最多で年に20回もつくることになります。が、多忙な時はつくれないので、年に3回から5回の家が多かったようです。

また、この「ナラビダンス」は年中働きづめの女たちの、たまの休みにつくる団子であったそう。

つきっきりで世話しなければならない養蚕において、かいこが眠(みん)に入り、給餌しなくてもよい「ならぶ」時は、女たちがつかの間にほっとする楽しい時間でした。その短い貴重な時間につくる、甘いあんこ入りのおいしい「ナラビダンス」は、女たちのひそやかだけれども、すばらしく楽しいひとときを演出したことでしょう。

「なんて、女性的でうつくしい風習なのでしょう!」

その後すぐにやってくる「眠」のあとの、「オキッコ(起蚕)」の世話は息つく間もないほどの忙しさ。 この束の間の楽しい時間は、気持ちの仕切り直しの意味合いもあったのではないでしょうか?養蚕をする女たちのまゆづくりにかける気概を感じます。

この風習は中央市においても、田富・玉穂地区に比べて山際の豊富地区のほうが盛んだったといいます。玉穂地区の人の話では、「田んぼの仕事も忙しかったし、ほうとうを毎日つくることもあって、米の粉よりも小麦のほうが手軽でね、小麦でつくることも多かった。それにくらべて山つき(豊富・三珠方面)は養蚕の規模も大きかったから、米粉のお団子で、神さんに熱心に拝んだとおもうよ」とのこと。

さらにお団子の中に入れる餡にも差があったようで、玉穂町誌によれば、「小豆も正月、盆をはじめ色々な行事に使い果たしてしまい、秋蚕のときには、小豆あんにするほどなく、きな粉に砂糖と塩を混ぜて餡にした」とあります。

しかし、豊富地区の古老の話では、「米粉でつくり、小豆あんを入れた」といいます。さすが、明治半ばから、品質の良いブランドまゆを生産した豊富地区ですよね。

平成12年の豊富村誌には、「昭和13・14年ころは最高で14万貫ほどの収繭を得ており、現金収入も一番だった。養蚕の苦労も「ならびだんす」のおいしさも、女たちの営みも忘れ去られようとしている」という少し感傷的な文章がみられます。

私たちは、かつての中央市を支えた養蚕の大変な苦労とともにあった、たおやかで美しい風習「ならびだんす」のうれしさも楽しさも、同時になくしてしまいつつあるのでしょう・・・。

むかしの人の気持ちを想っていたら涙がでそうに・・・・、まゆこの心も何だかとても動いたようです。

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う化から14日目、四齢・1日目のおかいこさんたち。体長3.5㎝と急成長しています。

「おせんげん(浅間)さんの馬のあしあと」と呼ばれる馬のひづめの形に似た紋様もはっきりみえるようになってきましたよ。

では、またね!

まゆこPhoto

2013年5月28日 (火)

甲府勤番士の記録

Img_0175_7 中央市大鳥居の大福寺は、甲斐源氏の祖先の一人で、源平合戦で弓の名手として名をあげた浅利与一義成の墓所がある寺として有名です。この与一墓所の中に、1基の古碑があります。その碑の表には「神霊萬古在」と彫られ、背面には揮毫者と石工の名前が記されています。揮毫者は「甲陽勤士飯室真明」とあり、甲府城の勤番士の一人であったことがわかります。飯室の姓は、このあたりの名家であり、浅利の分家4家の一つで、現在でも多い姓です。碑は明治35年に建てられていますから、明治維新以後この地域に帰省し、土着した方でしょう。
この飯室氏の歴史は不明ですが、恐らく、中世には武田に仕え、江戸時代に徳川Img_0174_4 に仕えたものと思われます。勤番士としては、どのくらいの役職の人物か、調べてみたいと思います。

なお、この情報は、昨夜の飲み会で仕入れたもので、燈台下暗しとはよく言ったものですね。友人に感謝です。

2013年5月26日 (日)

三齢・三日目になりました

おかいこさんの飼育5日目、三齢・三日目になりました。体長は1.8㎝ほどです。

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2日前の三齢・一日目にあげた人工飼料が、ほとんど食べつくされ、表面も乾いてしまっているので、そろそろ新しい飼料をあげます。

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まずは、乾いた古い飼料を取り除き、おかいこさんの糞をふるい落としました。

おかいこさんはまだ幼虫なのに、糸のようなものを出して紙にくっついていますから、落ちません。

次に、きれいな蚕座(さんざ)に輪切りにした新しい飼料をのせ、その上におかいこさんたちをのせます。

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糞や食べかすを落とした後の、古い蚕座にくっついているおかいこを筆で落とします。

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まだ、食べ残しや糞が絡んでいたので、取り除こうとピンセットでつまみあげると、くっついて持ち上がってしまった!

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給餌終了です。

次回の給餌は、これから眠(みん)に入り、脱皮して四齢になってからです。

「桑づけは急がず」と養蚕の手引書に書いてありました。全体のかいこが眠(豊富のことばでは「ナラビ」)から覚め、起蚕(豊富のことばで「オキッコ」)になった時期に行います。起蚕(オキッコ)を半日絶食させておいても問題ないそうです。

養蚕家は特に、この給餌のタイミングに気を使います。かいこの成長経過をそろえて、まゆの品質や出荷をそろえるポイントだからです。

難しそうですねぇ!

実は、明らかに小さい個体が2頭います。取り上げて別にし、特別にゆっくりたくさん食べられるようにしたのですが、あまり食べません。病気なのでしょうか?注意深く経過を観察したいと思います。

まゆこPhoto

2013年5月24日 (金)

「ジエット洗濯器」という名の球形手回し洗濯機

こんにちは、まゆこです。

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平成25年5月16日に豊富郷土資料館所蔵の球形手回し洗濯機について、ふたがなくて残念なことを書きました。

そうしたら、それを見た山梨日日新聞の記者さんが取材に来て下さり、『洗濯機のふた、ありませんか?』という見出しで、平成25年5月22日(水)の記事で紹介してくれたのです!

おかげさまで、新聞の反響とはすごいもので、掲載当日の開館直後に、ふた付きの手回し洗濯機を持ってきてくれた方がいたのです。

その後も、山梨県内の牧丘・身延・甲府の湯村から、ふた付きで使える状態のものをお持ちの方から連絡が入りました。その他にも、この洗濯機が特許を持つ「膨張圧力式洗浄法」という原理でつくられたアメリカ製のものを持っているという方や「最近ホームセンターで似たようなものを買って持っているので見せてあげる」など、県内外からありがたい連絡を多数いただきました。

ありがとうございます。

そして、皆様からの情報提供のおかげで、新たな事実発見がたくさんありました。

まずは、「どんなふたであったのか?」という謎については・・・・・ジャンっ!

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ゴム製のふたでした。ゴムを貫通して取っ手の金具が取り付けられています。

ふたの裏はこんな感じです。

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もうお気づきですか? そう、ふたは洗濯漕である球体の中にあって、本来、球体の外には出せない構造になっていたのです!!

→ 劣化していないゴム製のふたは、球体の中と外をその柔軟性により出し入れできる構造になっていました。(「ジェット洗濯器」取扱説明書入手により判明・平成25年6月5日現在)

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洗剤と湯をいれた後、球体の中でゴム製のふたの取っ手を持ち、口から取っ手を引っ張りだすようにして、キュッと栓をしたようです。

以前紹介した際には、球形手回し洗濯機のパイオニアであるカモメホーム洗濯器の資料を参考にして、ふたの形状を考えていたので、わが館所蔵のMAKI産業のものが、ゴム製のふたで、しかも球体の中から取り出せない構造になっていたとは、知りませんでした。

「ゴムであるために劣化してボロボロになり、球体の口から出てしまって、取っ手の金具だけ残っている」という方もいらっしゃいました。

また最近、ネットオークションでカモメホーム洗濯器を買ったという方が、資料館にもってきてくださったので、並べてみました。

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左が当館所蔵のMAKI産業のジエット洗濯器、右が林製作所のカモメホーム洗濯器です。

カモメホーム洗濯器のふたは、コックを回転して閉めるようになっています。

そして不思議なことに、ご連絡いただいた山梨県内の所有者は、すべて真木(MAKI)産業製「ジエット洗濯器」でした。いまのところ、50年位前の購入でカモメホーム洗濯器の方はいません。

群馬県桐生市でつくられた「ジエット洗濯器」はどのような販売経路で山梨県内に売りさばかれたのか? 新たな疑問に頭を抱えていたところ、すばらしい連絡が入り、なんと、購入時の値段と経緯、使用した記憶を語ってくださいました。

「50年位前、(昭和38年頃・1960年代)に購入し、1200円だったと記憶しています。韮崎の学校に勤務していたら、そこへ売りに来たので、須玉(現山梨県北杜市)に住んでいた男性と2人が購入しました。アパートに住んでいて、シーツを洗ったことを憶えています」とのこと。箱も保管してあり、いまでも使える状態だそうです。

この方の話では、訪問販売形式で売られたようですね。販売者は群馬県からやってきたのでしょうか?いづれにしても、山梨県中を販売者がまわって、そのメタリックな人工衛星がクルクルまわる様と洗浄力を実演し、それを見て感嘆し、購入した人々の様子が目に浮かぶようです。

時は東京オリンピック直前、まさに映画「三丁目の夕日」の世界を想像します。

新聞を見て連絡をくださったみなさま、ほんとうに貴重な情報提供ありがとうございました。

今回、22日開館直後にジエット洗濯機を持ってきてくださり、当資料館にご寄贈くださった飯室義友さんには、深く感謝いたします。

飯室様寄贈の、ふた有り「ジエット洗濯器」はメンテナンス終了後、展示いたします。

ゴムでキュッとふたをした、球形手回し洗濯機のキュートな姿をご覧になってくださいね♪

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2013年5月22日 (水)

「おかいこさん」飼育2日目

こんにちは、まゆこです。

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飼育2日目の「おかいこさん」です。

本日、中央市豊富の隣町、甲府市中道から来館くださった方が、飼育中のおかいこさんを見て、「あら、おぼこさん。懐かしいわねぇ」とおっしゃいました。

そうそう、このへんでは蚕のことを「おぼこさん」とか「おけーこさん」とも呼ぶんです。

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人工飼料にまみれて、かたまりになっていた昨日より、おかいこさんたちが少し動いて、バラけてきました。

えさをあげたいところですが、蚕の先生(各養蚕家をまわって飼育の指導をしていた方)に、「脱皮がおわって三齢になったものもいるが、まだ脱皮前の「眠(みん)」状態のものもいる。成長の度合いをそろえるために、今日はえさをあげないほうがよい」といわれました。

そうですよね。まゆをつくり始める時が、個体によって大きくずれてしまうと、まゆの出荷時に困りますよね。

かいこは4回脱皮してまゆをつくりますが、脱皮する前に、幼虫がえさを食べるのをやめて、頭をもち上げ眠ったようになって静止します。その状態を「眠(みん)」といいます。

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写真で頭をもち上げてじっとしているのが、脱皮前の「眠」の状態のかいこです。

二回目の脱皮を終えて三齢になり、えさを求めて動き始めた蚕もいますが、まゆこおかあさんとしても、ここでぐっと我慢です。

「ひもじい思いをさせて、ごめんよ。まだ眠っている子がいるから、ごはんは明日まで待っててね」と動いているおかいこさんに声をかけました。

しかし、いくら蚕の先生に教えられたとはいえ、お母さんとしては(こんなに欲しがっているのに、明日までごはんをあげられないなんて! 大丈夫かしら?)と心配で心配で・・・・。

「おかいこさん」たちが、豊富郷土資料館で、はじめてのごはんを食べる様子は、次回の記事にしますね。

ではまた♪

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2013年5月21日 (火)

「おかいこさん」がやってきました!

こんにちは、まゆこです。

とうとう本日、「おかいこさん」が、中央市豊富郷土資料館にやってきました!!

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左の箱に、かたまりでいるのが、「おかいこさん」です。卵から孵化して一週間くらいした、二齢(にれい)の稚蚕(ちさん)です。ちょうど、次の脱皮に向けて眠っているところです。(「おかいこさん」は4回脱皮して、まゆをつくり、さなぎになります。)

つぎに、アップ写真でどうぞ!

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全部で何頭いるのでしょうか? 50頭はいそうです。

人工飼料にまみれて、たくさんいます。

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まだ1㎝ほどの小さなおかいこですが、あと1か月ほどで、まゆをつくってくれるはずです。

むかしから豊富では、家に「おかいこさん」が来る日には赤飯をつくったというので、まゆこも「おかいこさん」が元気に大きくなることを願って、お赤飯を炊いてハレの日の膳をつくりましたよ♪ も~ うれしくてうれしくて仕方ありません。

「おかいこさん」はエントランスホールに居ますので、みなさん観に来てくださいね♪

大事な「おかいこさん」を分けてくださった、豊富地区大鳥居の中込さんをがっかりさせないように、一生懸命、お母さんになった気持ちで、育てていきたいと思います。

「おかいこさん、よろしくね!」

まゆこ

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2013年5月17日 (金)

日下部小学校3年生来館

こんにちは、まゆこです。

5月16日に、山梨市の日下部小学校3年生、74名のみなさんが、社会科見学の一環で、豊富郷土資料館に来てくださいました。

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シルクの里公園でおべんとうを食べた後、「ふわふわドーム」で思いっきり遊んで、汗びっしょりになって、やって来てくれました。

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時間に余裕がなく、1階の昔の暮らし道具ブースしか見学してもらえませんでしたが、子供たちの中には、質問をもっとしたそうな子や、もっと昔の道具や遊びに触れたいようすの子もいました。

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また今度、お家の人とゆっくり来てくださいね。2階の養蚕コーナーと「おかいこの一生」のDVDもぜひ見てほしいです。

夏休みの自由研究にも、もってこいですので、スタッフに気軽に声をかけてください♪

お待ちしています。またお会いしましょう!

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2013年5月16日 (木)

球形手回し洗濯機

こんにちは、まゆこです。

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豊富郷土資料館常設展の水にまつわる道具コーナーに、鈍色に輝くふしぎな球体が展示されています。

残念ながら蓋がないのですが、ご覧になって記憶されている方もいらっしゃるでしょう!?

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この球体の洗濯機は、昭和32年(1957年)以降に発売され、日本全国で一時期大量に出回ったものの、昭和30年代末には売り上げがしぼみ、わずか10年足らずで姿を消した、まぼろしの洗濯機です。その独特な宇宙未来的な形は、冷戦時代のソ連が世界初の人工衛星(スプートニク)の打ち上げに成功したことに、影響を受けたためだといいます。昭和三十年代マニア(?)の方々には「スプートニク型」と呼ぶ人もいるとか。

使い方は、「球体に乾いたままの洗濯物を詰め込み、洗剤を溶かした熱湯(80度)を注ぎ込む。急に熱湯が布の芯まで浸透するので洗剤がよく効く。ゴムパッキン付きの蓋をコック回転で締め上げて器体を密閉する。残留空気が熱湯で膨張して球体内は高圧化する。20秒ほどハンドルで回転させる。気圧が高まる。コックを廻してふたを開けると急な減圧でポンと音を発するのでポン洗濯機とも呼ばれた。濯ぎは湯を入れ替えて蓋をして回転、を繰り返す。湯量は洗濯物を浸すだけの分量なので節水になり、洗剤も少なくて済む」(『水の道具誌』山口昌伴 岩波新書 2006 より)

最初に発売したのは、群馬県高崎市の林製作所。カモメホーム洗濯器という名でした。

ただ水と洗剤で撹拌する洗濯とは違う、この膨張圧力方式洗浄法なる原理はイギリス・ドイツ・アメリカでも特許を取得しています。(現在でも、この原理をもとにつくられた手回し洗濯機は、独り暮らし・アウトドアなどで重宝だということで、製造販売されています)器体の底に刻印があるとのこと。

さて、豊富郷土資料館に展示されている球形洗濯機は、これと同じものなのでしょうか?高まる期待を抑えながら、ひっくり返してみますと・・・・・。

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当館にあるのは、う~んと、んっ?!「MAKI SANGYO CO. LTD.」でした!!

有名な「KAMOME HOME WASHER」ではなかったです。

しかし、英・独・米で取得した特許番号は同じですし、「かくはん」「ゆおん」の文字レイアウトも同じです。(但し、撹拌時間がカモメは10~20秒、MAKIは20~40秒ですが・・・・)

調べたところ、「MAKI」の真木産業は林製作所と同じ群馬県、桐生市にありました。お電話でお伺いしたところ、「製造していたことにまちがいないが、現品も資料も全く残っていないので、何もわからない」とのことでした。しかし、少なくとも昭和32年(1957年)以降の製造でしょう。

当館で、球形手回し洗濯機の左隣りに置かれている「Hitachi」の電気洗濯機は昭和29年製ですが、当初はとても高級品で、手頃な値段で一般庶民が購入できるようになるのは昭和30年代後半です。手回し洗濯機は、ほんの束の間、洗濯板から電気洗濯機へ移行する、日本の洗濯スタイルの過渡期を支えた道具だったのですね。

実際に使ってみたいですね♪ でもでも、ふたがないっ!!

紛失した(所蔵当時から)蓋を見つけた方はどうか届けてくださいっ!!(そんなことは無理ですけどね・・・・)

いまはもう失われた昭和30年代の、技術的にもデザイン的にも卓越した一品。

ぜひ、豊富郷土資料館でご覧になってください。(ふたがないですけど・・・・・残念!)

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2013年5月12日 (日)

中央市南の弓建嶺に石弓が建てられましたよ

Img_0054_2 浅利与一公が、ここから一町畑の老婆をシラサギと間違えて弓で射ってしまったという伝説の地に、江戸時代に建てられた石祠と石弓があります。石弓は長さ9尺(2m70cm)、下の村から見ても、白く輝く姿は目立った存在だったと思います。江戸時代に作られた『甲斐国志』にも、その伝承と、「後人石弓を造りて此処に建て与市の石祠を置て以て表とすと云う」と記されています。
この石弓が本来1本か2本建てられていたのか不明で、1994年に豊富村教育委員会が調査した時は、短い1本が祠の東側に建てられ、長い1本は倒れていたようです。
昨年の12月1日に中央市歴史文化ボランティアの会で調査した時には、長い石弓(170cm弱)は斜面の途中にありました。この2本が本来1本か、または2本建てたのか、接合できるか議論になりました。
この宿題に挑んでいただいたのが、地元大鳥居の川東地域の皆さんです。皆さんは4月の山ノ神神社の祭礼に合わせて、この祠の整備・清掃をするために登り、斜面の重たい石弓を引き上げ、短い石弓と割れ口を合わせて検討した結果、ぴったり接合はしなかったとのことです。風化したか、あるいは折れた時に間の石が細かく砕けたか不明です。川東地域の役員Img_0056_2 の方々により、祠の両脇にそれぞれ1本ずつ建てられました。その状態が今回の写真です。撮影は5月12日(日)です。石弓は与市公の弓と同じ九尺ほどの長さであったか、2本建てたのか、なぞは残ったままです。二つの石の形状はとてもよく似ているのですが・・・
なお、祠の脇には竹の弓と、紅白に矢柄を塗られた矢が置かれていました。こうした伝統は江戸時代から続いているもので、200年の伝統があるのですね。どうか末永く伝えていただきたいものです。
私たちは弓建嶺を、素直に「ゆみたてみね」と呼んでしまいますが、『甲斐国志』には「ゆみたてとうげ」とフリガナがふってあります。地名の歴史にも興味がありますね。市川三郷町の中山では、この山を弓張と呼んだようです。

2013年5月10日 (金)

蚕影山(こかげさん)

こんにちは、まゆこです♪

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中央市豊富郷土資料館のあるシルクの里周辺は、かつて繭の日本一の生産地でした。

しかし、現在も生産している養蚕家は、市内に2軒を残すのみとなっています。

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(写真の右から2番目の石塔が蚕影山)

昔は、これからお蚕の飼育がはじまるという、5月の初旬のこの時期、集落の「蚕影山(こかげさん)」にお参りをしました。

尾頭付きとお供え、お神酒を捧げ、手を合わせて「なむ、おかいこがみさん」と唱えたそうです。

今年度、豊富郷土資料館では、『おかいこの飼育』に挑戦します!!

とてもデリケートな生き物ですので、様々な不安がよぎりますが、大事にだいじに育てたいと思います。

また、養蚕に関する習俗も、ここでご紹介していきたいと考えています。

かわいいかわいいお蚕さんが、当館にやってきましたら、すぐみなさんにご報告しますね♪

5月20日以降に養蚕家のお宅から、わけていただく予定ですので、お蚕観察日記をお楽しみに!

まゆこ

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2013年5月 5日 (日)

「春のこどもまつり」にたくさんご来館ありがとうございました。

こんにちは、まゆこです♪

昨日まで二日間にわたって開催された「春のこどもまつり」に、たくさんの方々のご来場、ありがとうございました。

お天気にも恵まれ、来館者数は二日間で820人を超えました。

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ボランティアの皆様のご協力のおかげで、なんとか無事に、春のおまつりを終えることができました。ありがとうございました。

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参加賞の「こいのぼりつきかざぐるまキット」と「呼子笛」は、おかげさまで大好評!

豊富郷土資料館スタッフとボランティアのみなさんが、手作りにこだわって、一生懸命準備した甲斐がありました。

完成したかざぐるまを手に、声を上げながら輪になって、走り回っている子供たちをみることができて、とても幸福な気持ちになりました。

つぎは、「夏のこどもまつり」が8月3日・4日に開催予定です。

さて、どんな企画になるのでしょう。どんなプレゼントをご用意しましょうか。

今日から、豊富郷土資料館スタッフの挑戦と苦悩と忍耐の日々がはじまります。

みなさま、ご期待ください!!

まゆこ

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2013年5月 3日 (金)

春のこどもまつり大にぎわい

Gedc4888とても良い天気で、シルクの里公園は早朝より子供のにぎやかな声が聞こえます。

10時になると、いよいよこどもまつりの始まりです。放送とともに親子が続々と資料館のまつり受付に集まって、早速、弓矢での狩猟体験、魚釣り遊び、竹のけん玉、くるくるコースター、ゴム鉄砲のゲームに夢中です。
Gedc4884ゲームを終了すると、風車組立キットをもらえます。みんなで風車を作り、くるくる回る風車に大喜びです。

このほか、ウオークラリーでは親子で周辺の文化財めぐりをして、呼子笛のプレゼントを口に、ピーピー鳴らして大喜びです。

明日の4日もお祭りで、終日資料館は入館無料です。みんな、遊びに来てね。



2013年5月 2日 (木)

明日から「春のこどもまつり」はじまるよ♪

おはようございます、まゆこです。

明日から、豊富郷土資料館、「春のこどもまつり」がはじまります。

平成25年5月3日(金)4日(土) 午前10時~午後3時

いろいろな昔の遊びに参加して、参加賞をもらおう!

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                          (昨年の様子)

「春のこどもまつり」では、シルクの里周辺の歴史がわかるウォークラリーや、

5種類の遊び(弓矢での狩猟体験・竹のけん玉・磁石のさかなつりゲーム・くるくるコースター・ゴム鉄砲)を全部体験すると、豊富郷土資料館から、プレゼントがあります。

しかも、「こどもまつり」開催の5月3日(金)4日(土)は全員入館無料ですよ!!

お待ちしております♪

Photo まゆこ

2013年5月 1日 (水)

虚無僧とれんげまつり

こんにちは、まゆこです。

山梨県中央市では、玉穂地区のふるさとふれあい広場を会場として、去る4月29日に「れんげまつり」が催されました。

まゆこは、このお祭りの目玉である「虚無僧行列」に密着取材しましたよ!

江戸時代、れんげまつり会場に近い、このあたりは乙黒村といわれ、普化宗(ふけしゅう)の明暗寺(みょうあんじ)がありました。

普化宗とは禅宗の一派で、その寺には虚無僧とよばれる、筒形の深網笠をかぶり、袈裟(けさ)をかけ、刀を帯びて尺八を吹きつつ、托鉢行脚(たくはつあんぎゃ)する独特なスタイルを持つ僧が所属していました。

江戸中期・末期には、「扉を付した大門に、その両側の高い石垣上に塀をめぐらした城郭構え(中央市文化財ガイドより)」の大寺であったといいます。

しかし、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動のおり、明治4年(1871年)に普化宗は廃宗となります。

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いまは無き、明暗寺ゆかりの家々に寄り、献奏します。

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お祭り会場に近い、れんげ畑の中を進みます。今年は天候の影響で、れんげの花が少なかったのが残念ですが・・・・・。

虚無僧行列を見守る沿道の子供たちからは、「何あれ、スゲー!」という声が上がっていました。

この後、れんげまつりステージにて尺八演奏をし、普化宗の開祖、普化禅師像を所蔵する永源寺に向かいました。

Dsc_1247 明治4年に明暗寺廃寺後、屋根瓦や和尚の墓石や位牌(いはい)、木造普化禅師坐像などが、永源寺に移されました。

普化禅師の像は、これより他にないそうです。

普段は公開されていませんが、今日はお出ましになっておられました。

(尺八の音色を拝聴しながら、ありがたく拝観しました)

永源寺にはその他に、国の重要文化財に指定されている平安時代造とされる「木造聖観音菩薩立像」もあります。

次に公開される日を、まゆこは楽しみにしたいと思います。

厳かな尺八の音に誘われて、虚無僧行列とともに、中世の風景を想わせる堀の巡る寺院界隈を散歩するのも、れんげまつりの楽しみのひとつになりました。

お天気にも恵まれ、気持ちよかったです。

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