明治の手紙
こんにちは、まゆこです。
今日は、豊富郷土資料館に先日寄贈された、近代文書(昔の手紙)について紹介します!
ちらっと見ただけでは、何だかちっとも読めませんが・・・・・。
ちょっと解説してみましょう♪
この手紙は、現山梨県中央市内にあった、花輪村の村長中沢徳三郎さんが、村会議員の内藤作兵衛さんに宛てて書いたものです。
内容は簡単にいうと、花輪村村長が「明治三十七年三月十日、村から応召軍人が出発するので、抽選順番により、貴殿(内藤作兵衛さん)に龍王停車場(現中央線竜王駅)まで、お見送りに行ってきてください」と依頼しているものです。
明治37年(1904年)といえば、日露戦争が2月8日から開戦しています。開戦から一か月ほどで、現中央市の人々も兵隊さんとして駆り出されて、戦地へと出征していったのですね。
兵士たちは、この後、中央線で八王子から神奈川へ移動し、軍事訓練を受け、海を渡って戦地へ赴いたものと思われます。
これより10年ほど前の明治29年には、現中央市内にあった忍村から入営するのに、富士川舟運をつかったという記録があります。
戦地への旅路は歴史とともに変わりましたが、お見送りをした家族の気持ちは、みな同じだったのではないでしょうか。「どうか、無事に帰ってきますように。」
シルクの里は桜が散り、いまは藤の花が満開です。
手紙のなかで見送られた兵士たちが帰還し、故郷の美しい風景をまた見ることができたのだと、想いたいです。
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