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2016年12月 6日 (火)

正月飾りと凧作り教室は今年も盛況だった

Photoこんにちは、まゆこです。

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もう12月ですね。

クリスマスなんて関係ない当館では、正月に歳神様をお迎えする準備がはじまりました。

毎年12月の初めの日曜は正月飾りをつくるイベントを行っています。

ことしは124日に開催され、多くのご家族の参加がありました。

Dsc_0154←講師は元豊富郷土資料館館長の田中正八先生です。

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江戸時代から一般的には、1213日のすす払いにはじまり、29日までに餅つきや注連飾り、松飾り等の正月の準備をととのえるのが習わしです。

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参加者の皆さんも、あとは大掃除を早く済まして飾るだけ!

←地元の農家に特別お願いした青刈りの稲を使って作ります。

玄関の立派な注連飾りをみた歳神様がたくさんの福を持って来てくれそうですね。

Dsc_0180_2午後は凧作り教室を行いました。

当館ボランティアでもある風林火山凧の会代表の渡辺高一先生が教えてくださいました。

Dsc_0190無事に完成!

みなさん、気持ちの良いお正月をお迎えください♪

まゆこ

2016年12月 3日 (土)

88歳のJR身延線東花輪駅とはくばくの穀物タンク

Photoこんにちは、まゆこです。

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 豊富の王塚古墳の上からは、中央市街地を一望できます。

笛吹川で隔てられた玉穂地区と豊富地区を結ぶ豊積橋もかっこいいですが、なんといってもはくばくの穀物タンクが目を引きます。

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この穀物タンクは東花輪駅周辺にありますが、かつては、ジャパンエナジーの燃料タンク群や住友大阪セメントの設備とともに林立していました。

また、それらのタンクへとつづく専用線が存在し、貨物列車が夜中も多く行き交うにぎやかな駅でした。

ホームに立つと、かつて使用されていた専用線の痕跡を見ることができます。

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←電車の左にはくばくの穀物タンクと引き込み線、右側の反対ホームの向こうに住友大阪セメントの引き込み線がわずかに見える。右側奥に住宅の建っているあたり一帯にはジャパンエナジーのタンク群があった。

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東花輪駅では、平成13年に貨物の取り扱いが廃止になって以降、「ジャパンエナジーの大きな石油タンク」はもう取り壊されてしまいましたが、「はくばくの穀物タンク」は現在も往時をしのばせるようにそびえ立ち中央市のランドマークとなっています。住友大阪セメントの設備も健在です。

←今年の3月に88歳を迎えた東花輪駅舍

P1000396←この穀物タンクはもう使われていないのですが、中央市のどこからでも見つけることができるし、市民の心に残していきたい大事な景観だと思います。平成2811月スーパームーンの夜に。

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まゆこ

←豊積橋の鉄骨も結構かっこいいでしょ。

 

2016年12月 1日 (木)

ミニ企画展「麦を食べる」(5)

伝統的な麦作りの道具

麦扱き(むぎこき)

麦用千歯扱き(むぎようせんばこき)のことを言います。千歯扱きは日本で江戸時代に発明されました。歯(穂)は一挺あたり17~27本(奇数本)あり、江戸時代のものは平らな長方形で幅広く短い歯です。明治時代からは面が取ってあったり、鎗のような形になったりするなど改良されました。

Jpg3 千歯扱きで小麦を脱穀する

大麦は千歯扱きで穂先だけをちぎりとりますが、小麦は米と同じように粒になりました。稲用千歯扱きより歯と歯の間が広く、稲用は1.5mmくらい、麦用は3mmくらいの幅があるそうですが、兼用で使う場合も多かったようです。

大正時代に足踏み脱穀機が普及して千歯扱きは製造されなくなりました。

Img_9461jpg2 麦用は隙間が広い

麦打ち棒(むぎうちぼう)

米・麦の脱粒・脱芒(だつぼう)や豆類の脱粒に使いました。全国的には、連枷(れんか)・唐竿(からさお)と呼ばれる道具(関東地方ではくるり棒・ぶり棒など)で行われることが多いのですが、山梨、静岡などでは、鬼歯(おにば)とも呼ばれる麦打ち棒を使いました。

静岡から資料館を訪れてくれた方が「子どもの頃これを使ったことがあるよ。」と教えてくれました。また、千葉から来た方は、「くるり棒」を使ったことがあり、回し方が難しくて、自分を打ってしまうことがあると話してくれました。このあたりだけが鬼歯を使うのはどうしてなのでしょう。

頭部の叩き面は四角柱や楕円の柱で、そこから柄が出ています。叩き面には粗い溝状の歯列をつけてあるので、鬼歯と呼びます。

連枷は平安時代の百科事典ともいうべき『和名類聚鈔』にも載っていて、中国やアジア各地、ヨーロッパでも使われています。麦打ち棒は、昭和20年頃まで使われたようです。

Img_9437jpg2 ぎざぎざの歯が並ぶ鬼歯

麦打ち台(むぎうちだい)

麦打ち棚・麦叩き台ともいいます。小麦の脱穀に適していて、麦を束ねて持ち、麦の穂先を竹の簀の子(すのこ)状の部分に数回叩きつけて脱粒します。小麦は茎が強く粒が落ちやすいという性質があるので、これで叩くことによって粒が簡単に取れます。また、ダイズの脱粒にも使われました。

Img_0001jpg2 大工さんが作った麦打ち台

大きさは、2人以上で作業できる3mくらいのものまであります。関東から九州まで広く使われましたが、足踏み脱穀機が普及すると使われなくなりました。展示中の麦打ち台は昭和30年頃まで使っていたそうです。

 

Jpg2 麦打ち台で小麦を脱穀する

唐箕(とうみ)

風力を利用して穀物を精選する農具で、中国から伝わったとされています。一般に普及するのは江戸時代の後半からで、日本各地に江戸時代の紀年銘が書かれた唐箕が伝わっています。地方によって形は少しずつ違いますが、山梨のものは、西日本で使われていたものに似ています。

山梨では唐箕のことを「千石」とも呼びますが、「千石通し」「万石通し」は篩(ふるい)のことで、穀類の精選に使われる点では同じですが、もともとは唐箕とは別の道具です。農具は、同じものを別の名前で呼んだり、別のものを同じ名前で呼んだりすることが多く見られます。

Img_9421jpg2 唐箕(現在も農機具店で販売中)

2016年11月30日 (水)

早川新太郎少将遺品展 日清・日露・第一次大戦を駆けた男

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先ごろ山梨日日新聞の紙面で紹介がありました、早川新太郎少将の大礼服や肩章、帽子、叙位証などをウインドウ展示しました。新聞での掲載後に、大礼服が見たいというお客様がたくさんお見えになったので、12月末の27日まで展示をしています。

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早川少将は、現在の笛吹市一宮町中尾の出身で、陸軍士官学校を卒業し、日清戦争に参戦、更に陸軍大学を経て、陸軍のエリートとして日露戦争や第一次世界大戦にも参戦しました。妻は陸軍中将田村い与造の娘です。田村中将は小説「坂の上の雲」にも登場する陸軍きっての戦略家でしたが、日露戦争の直前に過労のため亡くなっています。

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早川少将が参戦した戦争は、いづれも日本が勝利を収めたもので、昭和2年(1927)に没しています。来年は没後90年になります。勝ち戦ばかりの日本が、アジア太平洋戦争で無謀なアジア全土への進出

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を図ったのは、こうした過信が軍部にあったのではないかと思います。

日本陸軍の栄光の時代が生み出した戦争の悲惨さをかみしめ、失ったものの大きさを、早川少将の遺品から、少しでも味わうことができたらよいと思います。

田富北小学校5年生の脱穀体験

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昨日11月29日は、市教育委員会の職員と郷土資料館合同で、田富北小に出かけて、昔の道具を使った脱穀体験を行いました。
脱穀する稲は、子供たちが隣の甲府市水源用地の一角に造った水田で育てた稲です。稲束は積み上げると軽トラック1台分ほどになりますが、脱穀してどのくらいの量になるでしょうか?

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最初の挨拶を済ませ、すくに4班に分かれて、籾を箸で落とす班と、千歯コキを使う班、回転脱穀機の班に分かれて一斉に脱穀を始めました。各班は順番にさまざまな道具で脱穀を体験します。昔の道具を使っての体験は相当苦労していました。

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千歯コキでは、たくさんの稲をはさんで、なかなか引き抜けいない子がいたり、回転脱穀機では、逆回転したり、稲穂を回転で持っていかれたりと悪戦苦闘です。
脱穀が一通り終了すると、今度はごみの除去を手回し扇風機と唐箕(千石)を使って行いました。

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ごみが唐箕の口から勢いよく飛び出しますが、一定の風力が得られないことから、手前の箱にもごみが落ちて来てしまします。それでもあらかたのごみをとって終了となりました。
収穫したお米は籾の状態で20キロほどです。精米すると15キロほどに減ってしまうでしょうね。
皆でおいしいおにぎりが食べられるといいね。

2016年11月29日 (火)

11月の大雪

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先日の24日は大雪でした。盆地の中は積もるか積もらないか、みぞれと雪がぱらぱらでしたが、中央市豊富のシルクの里あたりは、とんでもない大降りでしたよ。

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資料館はまるで雪国の玄関口のようで、タイヤが冬用タイヤだから良いものの、ノーマルでは入り口の坂は躊躇したでしょう。昨日までの紅葉は、みじめに冠雪し、色もくすんでしましました。途中の村中も雪に覆われ、まったく雪国です。

となりの大

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福寺観音堂は降りしきる雪が激しく、美しいを通り越して不安になりました。まさか、数年前の大雪になるか?ハラハラドキドキものです。資料館前は、ポストの赤が鮮やかでし た が、資料館の軒先の干し柿はなん

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だか寂しそうででした。

2016年11月26日 (土)

麦を蒔いたけんど

Tomiko

 富子だけんど、今日も霧んすごかったねぇ。やっと晴れてきたよ。これでちったあ暖かくなるら。

 せんころ麦を蒔いたさ。えびす講の前に蒔くがいいっていうからね。今年は、大麦と小麦の両方を蒔いたさ。みんなんに比べて見てもれてえからね。

Dscn9147jpg2 22日大麦の芽が出た

 22日にプランターをのぞいてみたら、大麦が芽を出してるじゃん。うれしくてさ。カメラで写してたら、やっぱり麦の芽の先に水滴がついていて、いかにも生きてるっていう感じでいいだよね。

Dscn9146jpg2 芽の先に水滴がついてる

 ほんだから、小麦はどうずらと思って、ワクワクしながら見に行ったさ。ほうしたらなんちゅうこんだか、芽がいっさら見えんじゃん。ほれでもと思ってよく見たら、ひっくり返されてるさ。

Dscn9162jpg2_2 無残な小麦

 カラスかなあ。ラッカセイを食ったのもカラスらしいから、小麦もそうかもしれんね。小麦は実がなると鳥にやられるのは知ってたけんど、まさか蒔いて芽が出た小麦がやられるとは思わなかったじゃんね。今までで始めてだよ。

Dscn9164jpg2 26日の大麦

 大麦はその点いいよね。実がなっても鳥にゃあやられんからね。しょうがねえから畑へ蒔いた小麦をちっとでかくなってからプランターへ植えるしかないね。作物を作るっちゅうのは獣や鳥や虫との闘いだね。だからっていって、人間に害になるほどに薬を撒きたかあないよね。

Dscn9166jpg2 菜の花も順調

 菜の花もずいぶんでっかくなったよ。来年の春に花を咲かせるように他にも用意してるけんみんな順調だよ。菜の花はちっと間引きをしっかね。

2016年11月25日 (金)

新潟県胎内市の板額会のみなさんに感謝

Photoこんにちは、まゆこです。

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←板額会のみなさん。真ん中が「板額御前」

新潟県胎内市には、800年以上も前、源平合戦の頃に活躍した板額御前(はんがくごぜん)を愛し、関連する文化遺産を様々な活動によって後世に伝えていこうと活動している『板額会』というすばらしい市民団体があります。

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今月はじめのことですが、その板額会の皆さんがはるばる新潟県胎内市から早朝出発で山梨入りしました。小学生、高校生、大人の方、総勢20名ほどの皆さんです。

その目的は、第1回中央市ふるさとまつりメインステージで、時代の渦に巻き込まれ波乱万丈だった板額姫の生涯を演じて見せてくれるためです。

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←新潟からのバス到着!

際立つ美しさだけでなく、弓の名手としても名をはせた板額姫は、越後平氏である城氏の姫でした。

しかし、鳥坂城の戦いで捕らわれの身となり鎌倉に連れて行かれ、将軍頼家の前に引き出されたところを、甲斐源氏の弓の名手、浅利与一に見初められ、甲斐国浅利荘(現山梨県中央市)へ嫁いできたと伝えられています。

静御前、巴御前とともに三大御前の一人として有名な女性なんです。

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しかも、わが郷土の英雄浅利与一公のお嫁さんだった人ですぞ!

 高校生たちの寸劇からはじまったステージは踊り、歌も交えて、分かりやすく、面白く、板額姫と浅利与一とのドラマチックな出会いと運命を演出する構成で、観衆を楽しませてくれました。

浅利与一と板額御前を知らない人でも、歴史が苦手な人でも、このステージを見た方には時代背景がよくわかったと思います。

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本当に素晴らしいステージで、新潟県胎内市の方々が、こんなにも浅利与一のこともよく知り、愛してくださっていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

逆に、わざわざ遠く甲斐の国にまで嫁いで来てくれた板額姫のことを中央市民はどれほど知っているのか?と考えると申し訳ない気持ちになります。

また来年も、来てくださるとうれしいです。Dsc_1226

←胎内市職員でもあり、板額会事務局のkさんから、かわいい板額ストラップもらいました。(当館事務室にて)Kさんもかわいいね!

また、毎年、板額会の皆さんは、中央市内中学3年生全員に、百発百中弓の名手板額御前にあやかった手作りの合格お守りを新潟胎内市から送ってくださっています。

この手作りの心は本当にありがたいですね。ちなみに昨年受験だったまゆこの息子も、このお守りをいただいて、無事合格できました。

市民の一人として、中央市の浅利与一の里からも何か感謝の気持ちを伝えられる場を作れないだろうかと、申し訳ない気持ちになっています。

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本日、平成281125日付地元紙(山梨日日新聞)に,秋田の中学同窓会が浅利与一公供養のため、27日に大福寺と当館を訪問するという記事が掲載されたのですが、当館は山梨県中央市大鳥居にあり、その敷地は甲斐源氏・浅利与一の菩提寺である大福寺に続いています。

そして、最近は「浅利」姓の方々のルーツを探る聖地として、日本全国から来館者が訪れるようになりました。与一のお嫁さんになった板額姫を慕って、いらっしゃる方も増えています。

Dsc_1213←すべて手作りの衣装だそうです。スゴイ!

将来的に浅利サミット!?なんてのもできるんじゃないかと、観光課の人でもないのについ考えてしまうほどです。

しかし、中央市民にもっと浅利与一公のことを知ってもらう活動をすすめるのがもちろん先です。頑張らねば!わが中央市豊富郷土資料館!その延長線上に・・・・・。

まゆこ

2016年11月22日 (火)

ミニ企画展「麦を食べる」(4)

伝統的な麦作りの道具

今回と次回は、伝統的な麦作りの道具を紹介します。現代の麦作りでは、ほとんどそのまま水田で使う機会を使えるそうですが、昔は水田とは違う道具がいくつもありました。

Img_9444jpg2 振り込み鋤簾

振り込み鋤簾(ふりこみじょれん)

土入れの道具で、土をすくう部分は金網と鉄線でできています。サク切り(中耕)後に振り込み鋤簾で麦の根元の土をすくい、麦の株の中にふるい込みます。土入れのことを、フリコミ・フルイコミといいました。

Img_9442jpg2 先の部分の作り方はさまざま

土入れによって麦の株が広がり、中まで日光が届き、茎が丈夫になります。また霜で浮いた根も活着します。土入れは2~3回行われ、子どもでもできる仕事なので、農家には何挺かの振り込み鋤簾が用意してあって、大人も子どもも土入れにいそしみました。

戦後は技術指導によって、土入れは行われなくなったので、振り込み鋤簾も使われなくなりました。

 

Img_9448jpg2 塊打ち

塊打ち(くれうち)

麦作りに用いる砕土用の槌。塊(くれ)というのは畑の土のかたまりのことで、種まきの前にこれを砕きつぶすのに使用しました。畑ばかりでなく水田の裏作として麦を作る場合にも使いました。

Img_9447jpg2 柄は竹でできている

ゲートボールのスティックのようなT字型をしたものと、屋根ふき用のこてに似た形をしたものがあります。土を砕く部分はいずれも木製ですが、前者は竹の柄が付き、後者は木製の柄が多いです。カシやクリなどの堅い木で作ります。

こて型のものには、土を砕く部分に波形・格子型の条痕がつき、土を割りやすくなっています。機械を使って土を深く細かく耕せるようになってからは、使われなくなりました。

Img_9455jpg2 振馬鍬

振馬鍬(ほうりまんがと山梨では呼ぶ)

畑で麦の種まきをする前に土を砕いたり、整地したりするために使いました。牛馬に引かせて使用する馬鍬(まぐわ)と異なり、人力で用いる砕土用具です。牛馬に引かせる馬鍬は水田で土をこなすのに使いますが、振馬鍬は畑で、麦の種蒔き前に使用しました。

Img_9454jpg2 歯があちこち向いている

一人用と二人用があり、一人用は馬鍬を小型にした形で、一人で使うところから、後家馬鍬の名もあります。二人用のものは向かい合って放るように振るので、放馬鍬(ほうりまんが)とも呼ばれます。

下に付いている鉄製の歯の向きがいぐちぐなので、左右に振るだけで土を細かくしてくれます。昭和40年頃まで使われていました。

2016年11月21日 (月)

晩秋に一言

あっという間に秋が過ぎて、シルクの里公園の木々も葉を落とし、
冬支度を始めています
その中で、いつもは一番早く紅葉するモミジが、
今年は最後に鮮やかな色彩を放ち、
秋空に別れを告げています。
落ち葉が日々少なくなり、
庭掃除も次第に楽になってきましたが、
それもよいと思う気持ちと、さびしい気持ちと半ばしています。

竹ぼうきを握りながらの、下手な一句

  掃く人の 肩に二三の 紅葉舞い 

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