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2016年9月26日 (月)

何日かぶりの晴れだね

 富子だけんど、お天道さんの顔をみるのは久しぶりじゃんね。何日雨っぷりが続いたずらか。洗濯も乾かんし、布団も干せんし、よういじゃあなかっとう。

Dscn8990jpg2 9月24日5時30分頃の東の空

 土曜日の夕方うちに帰るときにも雨ん降ってて、いつまで降るだかと思ってふと空を見ると、虹がかかってるじゃん。びっくりしたよう。しかも特大の虹だよ。虹の足から足まで全部見えるさ。あわてて道路の近くの広っぱへ車を止めて写真を撮っとう。
 上の方にもう一段虹がかかってたけんどそれは薄かったから写真にゃあ撮れなかったさ。近所のベランダから虹を見てた人たちが、「こんなでっかい虹は初めて見たよ。」って話してた。そんくらいでっかい虹だったね。

Dscn8993jpg2  西の空は燃えていた

 虹の反対側の空を見ると、なんともまあすごい色で、空が燃えてる感じだよね。これじゃあ明日は晴れるなと思ってるうちに、どんどん空の色は変わっちゃって、あっというまに薄暗くなっちゃっとう。

Dsc_0055jpg2  案山子たちも晴れて喜んでいる

 次の日はホントに晴れて、農家の人たちが今までできなっかった稲刈りをそこここで始めたさ。畑や田んぼを作ってる友達が、「ホントに何にもできんで困るさ。」って言ってたけんど、何もできんだけじゃなくて稲は倒れて水に浸かってるし、野菜は腐っちもうし、えらいこんだったからね。稲刈りをした衆は一息ついつらね。

2016年9月24日 (土)

エゴマの花

Tomiko

 富子だけんど、この近所の小学校じゃあ今日運動会をやってるところが多くて、今朝はあっちこっちで花火が上がったよ。ほんだけんどグランドはぐちゃぐちゃずらね。雨ばっかで練習もあんまりできなかっつらね。今日も曇り空だけんどせめて終わるまで降らんでいてもれえてえよう。

 せんころエゴマのことをちっと書いたけんど、プランターのエゴマに花が咲いたから、写真を載せるじゃんね。

Dscn8956jpg2 9月15日、花穂が出てきた

 エゴマはゴマと言ってもシソの仲間で、東南アジア原産だって。古い呼び方が「荏」(え)で、それが中国名でもあるようだよ。だから近所のおばさんたちが「荏のぼた餅」って言ってたのは、由緒正しい呼び方だっただねぇ。山の中にはこういう古語が残るだよね。

 日本じゃあインド原産のゴマより古くから利用されてただって。食うだけじゃなくて塗って油紙にしたり、番傘にしたり。もちろん灯油もエゴマで、菜種油が使われるようになるまでは、油と言えば「エゴマ油」だっただね。

Dscn8965jpg2 9月18日、花が咲いた

 上の写真の花、かわいいら? 小さい白い釣り鐘型で、下の方がちょっと長い花が房のようにになって咲くだよね。咲いた花はあっというまに散っちもうから、プランターの下には白い花がいっぺえこぼれてるよ。

Dsc_0051jpg2 9月21日のシソの花

 上の写真は偶然見つけたシソの花だけんが、似てるら?葉っぱも花もそっくりだね。ただシソの花の方が房が長くてあんまり固まった房にはなっちゃあいんけんどね。

Dscn8987jpg2 9月22日、蜂がたくさん来ていた

 日本じゃあエゴマが古くから使われてるって言ったけんど、山梨県大月市の原平遺跡(縄文早期末)からは、炭になったエゴマの種の塊が見つかってるし、笛吹市の花鳥山遺跡(縄文前期末)からは炭になったエゴマのクッキーが見つかってるだよ。すごいね。何千年も前だよ。東南アジア原産のエゴマが日本にどうやってたどりついて、山梨の縄文人が食うようになったか考えると、ホントにびっくりしちもう。縄文人すごい!

2016年9月22日 (木)

ぼた餅を作った

Tomiko

 富子だけんど、今日は彼岸の中日じゃんね。相変わらずの雨っぷりでお墓参りにゃあ都合が悪いよね。「中日ぼた餅、明け団子」って昔っからいうから、作ってみたさ。若い頃法事だかなんだかのよそのうちの人寄りの時に、近所のおばさんたちとぼた餅を作ったこんがあるだけで、自分じゃあ作ったこんがなかったからね。

Dscn8976jpg2 炊いたご飯をすり鉢でつぶす

 餅米とうるち米を混ぜて炊いてっから、すり鉢だかこね鉢だかでつぶすだよね。おばさんたちは「半殺しにする」って言ってたけんど、恐ろしい食い物だよね。

Dscn8978jpg2 ごはんのまわりに餡をつける

 「ぼた餅」と「おはぎ」は何が違うだかいろいろの説があってどれがホントだかわからんけんど、あたしのまわりじゃあみんな「ぼた餅」って言ってたね。「おぼた」って言ってた人もいたけんど、「おはぎ」はほとんど聞いたこんがないね。ただ昔のぼた餅はでっかかった。今のは一口か二口で食えちもうけんど、昔のぼた餅はそんなこんじゃあ食えなかったね。

Dscn8979jpg2 ゴマもすり鉢で摺る(すり鉢大活躍)

 子どもの頃お母ちゃんが作ってくれたぼた餅がうまくて、まああの頃は食えさえすりゃあ何でもうまかったけんど、食い過ぎちゃってね。後で具合が悪くなって死ぬ思いをしたからそれっからぼた餅はずっと食わなかったさね。大人になってからはたまに食ったけんさ。その頃になるとぼた餅もちっくくなって、他にもうまいもんがたくさんあるようになったから、そんなにガツガツ食わなくてもいいようになってたからね。

Dscn8981jpg2 餡とゴマのぼた餅を供える

 そういえばおばさんたちとぼた餅を作ったとき「え」のぼた餅っていうのも作った気がするだよね。「えっ?えのぼた餅ってなに?」って聞いたら、餡の代わりに「エゴマ」の摺ったのをまぶすぼた餅だったさ。きな粉とかゴマとかのぼた餅は食ったこともあったけん、「え」のぼた餅っていうのは初めてで、ところ変われば品変わるだなあと思ったね。食ってみるとやたら油っぽくてこれまたびっくり。「エゴマ」からは体にいい油が絞れるっていうのも知らなかったからね。こういうふうに煎って摺って食うのが一番いいらしいよ。ほれ、昔の人は経験でちゃんといいことを知ってるだよね。すごいよね。資料館でも今年は「エゴマ」を作ったから、何にしようか楽しみだね。

Img_9418jpg2 元気いっぱいのエゴマ

2016年9月19日 (月)

ミニ企画展 「帽子 暑い!まぶしい!さて何をかぶろうか?」(5)

 帽子の役目は、暑さをよけたり、寒さをよけたりするだけではありませんでした。次のような用途で使われてきたのです。

 

1 その人物の社会での身分を示す。(冠位十二階から始まる)

Img_9171jpg2 資料館の鳥打ち帽

Jpg2 小僧さんといえば鳥打ち帽

2 ドレスコード・エチケットとして

3 制服やユニフォームの一部

Img_9182jpg2 将校の制服には羽飾りの帽子

Img_9180jpg2 戦闘服には戦闘帽

4 ファッション

5 直射日光による日焼けや熱中症を避けるための日よけ

6 雨や雪を防ぎ、寒さを防ぐ

7 ちりよけ・ほこりよけ(江戸時代の揚げ帽子など)

8 危険物などからの頭部保護(ヘルメットや陣笠が代表)

9 調理場や工場で髪の毛が落ちないようにする

10  医療用・体温調整用

Img_9335jpg2 ベビーボンネットは赤ちゃんのトレードマーク

Jpg2_2 この赤ちゃんもベビーボンネット

11  髪型の保護

12  頭を隠す・顔を隠す(目出し帽なんかが使われる)

13  商品の広告をする(プロスポーツの選手がよくかぶっている)

14  スポーツの応援(昔は野球チームの帽子が流行った)

15  交通安全(小学生の黄色い帽子)

16  手品やジャグリングの道具、踊りの小道具

17  鍋の代わり(戦闘中はヘルメットや陣笠も鍋になった)

こんなにさまざまな役割がある帽子ですが、さああなたは何のためにかぶりますか? 

2016年9月18日 (日)

ラッカセイの掘り取り

Tomiko

 富子だけんど、まいんち天気がぐずぐずしていて困るじゃんね。うちの畑で作ったアズキは、資料館のプランターよりちっと後で種まきをしたおかげで、今収穫時期だけんが、雨で鞘が腐ったようになっちもうだよね。たまには秋らしい天気になってくれんと。

 せんころラッカセイが誰かに掘られてる話をしたじゃんね。ほうしたら次の日も、また次の日も掘られて、しかもだんだん掘る量が増えてきたから、こりゃあだめだと思って全部掘っちゃたさ。まだちっと早いけんどね。

Dscn8938jpg2 子房柄の先にラッカセイの実

 友達に聞いたら、カラスが堀に来るから収穫のちっと前にネットをかけるって教えてくれたさ。やっぱり鳥の仕業だっただね。ラッカセイを掘っちゃったらプランターのあったとこがさみしくなっちゃったから、ちょぼちょぼと生えてるダイズのプランターを置いといたら、なんと次の日にはダイズが引っこ抜かれて、土を掘ったあとがあったさ。まだラッカセイが生えてると思って引っこ抜いただね。利口なカラスでもラッカセイとダイズの区別がつかなかったずらね。

Dscn8939jpg2 一株から15・6粒取れた

 ラッカセイは南米が原産で、東アジアを通って江戸時代に日本へ来ただって。中国から来たから「南京豆」って呼んだだね。うちのお父ちゃんも「南京豆」って言ってたよ。江戸時代生まれじゃあないけんどね。ヨーロッパじゃあ豆が土の中に生るなんて変な植物だってあんまり栽培はされなかったし、北アメリカでもラッカセイは家畜の餌だっただって。今じゃあ「ピーナッツ」ってもてはやされてるけんどね。

Dscn8964jpg2 まだ土がついている

 うちのお母ちゃんの得意料理で、ほうれん草のラッカセイ味噌あえはうまかった。ごま和えのラッカセイ版だから、作り方は簡単だけんど、ラッカセイの方がゴマよりずっとうまいだよね。ラッカセイを刻んで、すり鉢ですって、醤油と砂糖で味付けをしてほうれん草と和えるだけ。今だったら、ラッカセイをミルで挽けば簡単だね。話は飛ぶけんどそれで最近すり鉢を使うこんがなくなっちゃただよね。台所の必須アイテムで、遺跡からなんかもいっぱい出てくるにね。

 掘ってから天気が悪いから、乾かすのに手間取ってるけんど、乾いたら何にするか楽しみだね。

2016年9月17日 (土)

歴史文化講座「秋、古墳を歩こう!」

Photoこんにちは、まゆこです。

11月に第4回歴史文化講座として、「秋、古墳を歩こう!」というイベントを開催することになりました。

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●平成28年度第3回歴史文化講座ウォーキング「秋・古墳を歩こう!」

開催日時 平成2811日(午前915分~午後3

集合解散場所 中央市豊富郷土資料館エントランス 

コース 資料館→御崎神社古墳→三星院古墳→伊勢塚→王塚→三珠大塚→三珠伊勢塚→ 資料館(コース終了後、企画展「王塚と甲斐の五世紀」の展示を是非ご覧ください)

定員 20名 ※市内在住者優先となります。 

参加費は無料です。また、当日の資料館入館料も免除となります。 

申込み 平成281010日(月)~1110日(木)電話で055-269-3399(中央市豊富郷土資料館)まで ※定員になり次第締め切ります。

持ち物 弁当、水筒、タオル、雨具、運動のできる服装2キロほど歩きます。) 

主催 中央教育委員会生涯教育課・中央市豊富郷土資料館

共催 中央市文化協会郷土研究部・中央市歴史文化ボランティアの会

 中央市民の皆さんは、豊富地区やその隣接地に、たくさんの古墳があったことにきっと驚かれることでしょう。

実際に歩き、古墳の痕跡を自分の目で確かめることで、より古代の景観が想像しやすくなると思います。

甲斐の5世紀を駆け抜けた、古代豪族たちの足跡を訪ねてみませんか?

まゆこ

2016年9月16日 (金)

無花果(イチジク)

Tomiko

富子だけんど、調子はどうでぇ?まだまだ昼間は暑いじゃんね。

この頃無花果をスーパーで見かけるら?買ったこんはないけんさ。近所の人がくれるから、ありがたくもらって食ってるさ。

Dscn8890jpg2 近所でもらった無花果

 子どもの頃はうちにも無花果の木んあってね。よく食ってたよ。木から取って食えるなんて天国にでも行ったようじゃんね。無花果の他にもナツメとかグミとかもよく木に登って食ったよね。ナツメやグミはうちにはなかったけんど、友達のうちにあったから、自分ちのもんみたいにしょっちゅう登っちゃあ食ってたさ。カキもスモモもモモもうちにあったから季節になるとうまそうなやつをもいじゃあ食ったもんさ。

Dscn8894jpg2 中に花が咲いている

無花果っていう字の通り、花が咲かんに実が生るようにみえるけんど、実の中にある赤いのが花なんだよね。「隠頭花序」っていうらしいけんど。その上日本で栽培されてる無花果は受粉しなくても実がでっかくなって熟すだって。人間にとってはこれ以上ないくれえいい話じゃんね。

Dscn8896jpg2 実家の無花果の木

 無花果は江戸時代にペルシャから中国を通って長崎に来ただって。そのころは「南蛮柿」とか「唐柿」とも呼んだらしいよ。挿し木でも増えるからどこのうちの庭にもあったねぇ。手間んかからんでいいじゃん。別になんの手入れもしちゃあいなかったよ。

Dscn8900jpg2 うまそうに熟してる

 今は信じる人もいんと思うけん、不老長寿の果物だってよ。カリウムは血圧を下げるし、ペクチンは便秘にきくし、フィシンは消化を助けるっちゅうから、不老長寿とは言わんけん、悪かあないよね。

 

2016年9月15日 (木)

企画展「王塚と甲斐の五世紀」

Photoこんにちは、まゆこです。

本日は、平成28年度第3回企画展「王塚と甲斐の五世紀」開催のお知らせです。

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●企画展名平成28年度第3回企画展「王塚と甲斐の五世紀」

 

●会期 平成28101日(土) ~ 1225日(

 

入館料 大人250円・小中学生100円 (月曜または祝日の翌日は休館)

 

中央市豊富の王塚古墳は昭和4年に発掘されました。人々は合掌式石室を取り除き、多くの冑や刀を手にしました。その一部が、現在の東京国立博物館に収蔵されています。

甲斐銚子塚古墳を頂点とした古代豪族は、しだいに豊富、三珠、南アルプス、笛吹市境川・八代地域へと豪族の数を増やし、盆地一円を勢力範囲としました。そこでは全国に先駆けての馬飼育があり、須恵器の利用、住居へのカマドの導入が進められたのです。

展示では、王塚古墳(中央市豊富)の近隣に存在する、三珠大塚古墳(市川三郷町)のはにわ 須恵器、その他出土品を見比べながらご覧いただこうと考えています。

 ヤマト王権が、甲斐国に求めたものは何だったのか。甲斐の豪族は何をもってこたえたのか? 数々の謎にどこまで迫ることができるのか、ご期待ください。

まゆこ

 

2016年9月14日 (水)

お月見団子を作った

Tomiko

 富子だけんど、また雨だねぇ。1週間くらい雨が続くようじゃんね。涼しいのはいいけんど、ちっと蒸すよね。

 明日は十五夜だけんど、用があって明日団子を作れんから、昨日作ったさ。今まで十五夜の団子は買ってばっかしだったけんど、今年は自分で作ってみっかと思って、挑戦したさ。

Dscn8948jpg2 水で練って分けた生地

 白玉粉と団子の粉を半分つ混ぜて、水でこねるだって。今まで団子っちゅうと熱いお湯でこねてたけんど、水でこねるっちゅうのは初めてで、大丈夫ずらかって半信半疑だったさ。水でこねると透明感がない生地ができるね。

Dscn8950jpg2 ゆでて冷水で冷やしている

 その後餡子を入れて丸めて、わかしたお湯で5分ばっかしゆでるっちゅうと透明感のある団子ができるさ。この鍋でゆでるっていうのも初めてで、今までは蒸し器でふかしてばっかだったから、これも不安だったけんどね。白玉団子を作るときはゆでてたけんどさ。今回は餡子の入った団子だからね。

Dscn8954jpg2 皿に盛ってできあがり

 心配したことはなく、うまくいって団子ができたから、皿にのせて、玉穂のサトイモと豊富のクリと豊富の花といっしょに飾ったさ。雨だったからススキをとりに行くジチ(やる気とか勇気)はなかったから、花で勘弁してもらったけんど、ススキじゃなくて稲穂でよかったらしいね。まあイネも作ってなきゃあだめだけんど。15日当日にゃあスーパーでもススキをサービスしてくれるかもしれんね。クリは十五夜より十三夜に飾るのかもしれんけんど、豊富じゃあ今がクリの最盛期だからね。

Dscn8955jpg2 縁側に飾ったお供え

 子どもの頃のことだけん、十五夜の日になると、でっかい兄ちゃんたちが「おい、今日ツキに行くか?」っていう会話をよくしてたさ。「十五夜の日に月に行く?」ってどういうことかと思っていたら、団子やお供え物を棒で突いて取りに行くっていうことだったさ。十五夜のお供え物は取っても泥棒にゃあならんていうことで、子どもの年中行事だっただね。お供えしたもんを食ってもらえて供えた方から見ればうれしいこんだっただね。おおらかな時代だったね。ちなみに団子は好評で、あっという間に食っちゃったさ。

2016年9月11日 (日)

ミニ企画展 「帽子 ~暑い!まぶしい!さて何をかぶろうか?」(4)

日本の帽子の歴史

明治から昭和前期

 明治維新とともに西洋文明が押し寄せ、西洋の帽子が広まっていきました。陸海軍の制服として帽子・洋服が取り入れられたのを始めに、帽子に羽織、洋服に下駄、和服に靴などの和洋入り交じったファッションが広がっていきました。

 Jpg2 資料館古写真(明治の終わり頃か)

Img_9172jpg2 資料館の山高帽

 そして、学生は学生帽、小僧は鳥打帽、番頭はソフト帽というように、職業や階級ごとにかぶる帽子が決まっていきました。陸海軍の正装の帽子は軍隊内での位をあらわす役割を果たしていました。

Jpg2_2 資料館古写真(大正頃か)

Img_9161jpg2 資料館カンカン帽

戦前までは帽子の全盛期でしたが、第二次世界大戦が始まると防空頭巾と戦闘帽ばかりになっていきます。

Img_9174jpg2 ビーバーの毛皮で作られたのが始まり

Img_9163jpg2 中南米の農作業時が始まりのパナマ

昭和後期から現在

 戦後は帽子をかぶる習慣が廃れてしまいます。学生帽は再び普及しますが、やはり帽子着用習慣が廃れるに従い徐々にかぶられなくなっていきました。代わりに子どもたちの間には野球帽や交通安全の黄色い帽子がかぶられるようになります。

紫外線対策や防寒対策などの実用性と、ファッション性を持ち合わせた帽子の人気は最近再び高まっています。

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